この記事を読むのに必要な時間は約 1 分15秒です。
【00年代の函館 その13】天下の号外屋翁の墓他(函館市船見町)
函館市内の墓所
“天下の号外屋翁”こと信濃助治さんのお墓は、函館市のほぼ西端、基坂や金森赤レンガ倉庫などがある函館観光の中心部からもそう遠くないところ(函館市船見町)に位置しています。
信濃助治さんは明治27(1894)年6月、全身赤ずくめで函館を訪れ、約一か月後に開戦した日清戦争時にはその服装で北海新聞の号外を配布し、”赤服”と呼ばれる天下の号外屋として名を売ったようです。
“号外屋”はまた、在りし日には奇行の多い奇人としても有名だったようで、墓石にも生前の生きざまがそのまま体現された赤が用いられているのですが、現在はお墓そのものが(函館市の公式解説付きの)観光スポット化しています(参考:南北海道の文化財 “天下の号外屋翁の墓“)。
付近には、函館縁の歌人である石川啄木(参考:石川啄木と立待岬)に”むやむやと 口の中にて たふとげの ことをつぶやく 乞食もありき”と謳われた函館の名物男・万平さんのお墓である”万平塚”(参考:南北海道の文化財 “万平塚“)や、
引き取り手の無い仏様を供養するために建立された有無両縁塔(参考:donan.info “有無両縁塔“)、
プロテスタント墓地をはじめとする各外国人墓地(カトリック墓地、正教会墓地の他、ロシア人墓地、中国人墓地等々)なども用意されている他、箱館戦争=五稜郭の戦いで戦死した土方歳三の供養塔(参考:土方歳三最期の地と五稜郭)、高田屋嘉兵衛一族の墓等もあるなど、市内有数の”市民の永眠地”となっています。