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【横浜中華街】横浜媽祖廟(南門シルクロード沿い、山下町公園裏手)

横浜中華街

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【横浜中華街】横浜媽祖廟(南門シルクロード沿い、山下町公園裏手)

横浜媽祖廟

about 媽祖廟

横浜媽祖廟まそびょう(正式名称”横浜大天后宮”。公式サイト)は、道教どうきょうの神様・媽祖を祀る廟です。

中華街の東門(朝陽門)付近と南門(朱雀門)を結ぶ南門シルクロード沿いに位置していて、すぐ裏手は山下町公園です。この地には元々清国・中華民国の総領事館がおかれていたのですが、曲折あって、結論として現在山下町公園、および横浜媽祖廟が置かれる地となりました。

道教とは、”諸子百家しょしひゃっか“の老子・荘子を祖とする”道家どうか“の教えが宗教化された思想で(諸子百家について、参考:about 孔子)、例えば”風水”も道教の教えにルーツを持っていますが、その道教では「歴史の中に実在した人物は、亡くなったあと天に昇って神になる」と考えられています。

そのような特徴を持つ道教の神々の中でも特に位の高い(道教の中では最上位の)女神であり、かつ現在最も人気のある崇拝神の一人が”媽祖”です。

媽祖は、正式には”天上聖母てんじょうせいぼ“と呼ばれる海の女神で、海外に旅する者たちに尊敬される庇護者(=あらゆる災難から安全を守る偉大な力を持つ女神)として祀られていることから、現在、世界26か国に約1500の媽祖廟が作られていますが、横浜では、1886年=明治19年に関帝廟が作られた際、そこに”媽祖”も同時に祀られたことが媽祖廟の始まりである、とされています。

ただし、華僑の内輪で大切にされ続けた神様は、必ずしも観光スポットとして開放されていたわけではなかったようです。

かつて(1980年代位まで)の中華街では、関帝廟自体が万人に対して開かれていたわけではなかった(とはいえ、存在自体は確認されていた)ことと同様に、媽祖廟については”初代”が1886年=明治19年に関帝廟内に設置された、かつて現在地に位置していた清国領事館内には天后宮が作られた、ということ以上の情報があまり、というかほぼありません。

この点、「あってもおかしくはない、不思議はない」神様の、独立した廟が無いという状態の解消は、2003年=平成15年、マンション建設用地となっていた現在地が”媽祖廟用地”として購入されたことに端を発します。

以降、媽祖廟建設計画は順調に進み、3年後の2006年=平成18年には現在の横浜媽祖廟が竣工、現在地にて横浜中華街の新名所としての歩みをスタートさせることとなりました。

横浜媽祖廟内では、天上聖母=媽祖への思いは、その由緒も含め”媽祖和讃”としてしたためられています。

媽祖廟・道教について、参考:横浜媽祖廟公式サイト “媽祖廟“、”天上聖母“、”横濱媽祖廟の歴史

神輿くぐり(春節限定)/おみくじ

神輿くぐり(春節限定)

春節時の媽祖廟では、厄落としのための”神輿くぐり”が行われます(春節とは中国の旧暦のお正月のことで、横浜中華街では例年、一月下旬から二月の上旬にかけての2週間、盛大な新年のお祝いが行われます)。

“神輿くぐり”とは、要点をかいつまんで言うと、お線香を持って神輿をくぐった後、既定の場所に線香を供えるというものです。

言い方を変えると、通常の媽祖廟詣でで線香を供える前に神輿をくぐり、そののちに線香を供えるという、春節期間限定の”ならでは”イベントの一つです。

線香は常時媽祖廟内のお店にて取り扱っているので、

5本一組になっている線香を購入後、

係の人に火をつけてもらいます。

いざ、神輿の下へ。

線香には既に火がついています。

まさにこの瞬間がよからぬものを落としてもらっている最中です、と言われれば、なるほど確かに!という気持ちも高まる時間でもありますが、

順路としては、この後、いよいよ媽祖廟の周辺と媽祖廟内に線香を供えます。

順路については係の人が案内をしてくれますが、仮に案内がなかったとしても香炉に番号が振ってあるので、この番号が目印になります。

媽祖廟のおみくじ

廟内ではおみくじを引くことも出来ます。

媽祖廟のおみくじは、両手を合わせてその間に二枚の木の板を持ち、お祈りをした後に手を離す、その時に床に落ちた木の板のあり方から未来を占うという、一風変わったものなのですが、

仮におみくじの結果があまり良くなかった場合、あるいは持ち帰りたくない場合。日本の神社のおみくじであれば、厄落としのために神社の境内の木の枝などにおみくじを結び付けてくるのが通例ですが、媽祖廟のおみくじの場合、

線香を購入したときに線香と一緒にもらった紙と共に、炊き上げてもらえます。

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