【三渓園/内苑地区】臨春閣と身代わり灯篭(国指定重要文化財)

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臨春閣とその周辺

臨春閣

三渓園・内苑地区の目玉施設の一つである国指定重要文化財・臨春閣りんしゅんかくは、大正6(1917)年、三渓園に移築されました。

臨春閣は紀州徳川家初代藩主・徳川頼宣よりのぶ(江戸幕府初代将軍・徳川家康の十男)が17世紀半ば(慶安2年=1649年)に和歌山に建てた別荘建築で、徳川幕府8代将軍・徳川吉宗が幼少期を過ごしたのではないかとみられています。

現在築350年を超えていますが、”三渓”原富太郎さん存命中は、来客の接待等に使われていたようです。

臨春閣内部は、ぱっと見で判断するなら今でも十分人が住めるような保存状態になっています。

原富太郎さんは臨春閣を買い取るにあたり、「築造した秀吉自身によって破壊しつくされたはずの聚楽第(関白時代の秀吉が作った京都の拠点)の一部だ」と信じて行動したようです。

仮に臨春閣が”幻の”聚楽第の一部であったとするなら、付近に移築された橋である亭榭ていしゃとも併せ、池の周りでは16世紀末、安土桃山時代の風情を持つ景観が意図して表現されている形になります。

参考

身代わり灯篭

臨春閣は、順路に沿って歩いていくと、

亭榭ていしゃを渡って裏手に回ることが出来るのですが、亭榭から望む臨春閣に見ごたえがあるように、”臨春閣内部から望む亭榭”の見事さもまた、臨春閣の持つ魅力の一つとなっています。

そんな”亭榭”を渡って臨春閣横に通された石畳の通路を歩き、

臨春閣の裏手に回ると置かれているのが、

千利休の代わりに切られたといういわれのある、「身代わり灯篭」です。⠀

臨春閣に寄り添うようにひっそりと置かれていますが、”利休縁の灯篭”だということで、これもやはり秀吉在りし日、安土桃山時代とのかかわりが個性となっている一品です。

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