【馬車道/新港ふ頭】赤レンガ倉庫・赤レンガパーク(新港ふ頭内)

馬車道(横浜市役所)駅
この記事は約8分で読めます。

赤レンガ倉庫と赤レンガパーク

横浜赤レンガ倉庫

about 赤レンガ倉庫

「横浜赤レンガ倉庫」は、2002(平成14)年に新港ふ頭にオープンした観光施設です。

明治・大正年間に保税倉庫(後述)として作られた二つの「赤レンガ倉庫」がリニューアルされた形ですが、「オリジナル」の竣工年は、それぞれ、

  • 二号館:明治44(1911)年
  • 一号館:大正2(1913)年

です(倉庫の歴史について、後述)。

観光施設としてのいわゆる「赤レンガ倉庫」は、現在も新港ふ頭内に二棟残されていますが(※)、位置づけとしては二号館が商業施設一号館が文化施設とみなされています(※2)。

一号館・二号館の間のスペースは「イベント広場」として利用され、数々の赤レンガ名物イベントが展開されています。

参考

保税倉庫とは

保税倉庫とは、輸出入品目や品質のチェック、関税の賦課等の作業をスムースに行うために整備された「保税制度」と共に誕生した倉庫で、幕末の神奈川運上所での倉庫運用と制度制定を経て、全国へと広まりました。

神奈川運上所から横浜税関へと変化した横浜の他、

  • 長崎:長崎会所から湊会所へ、湊会所から運上所、長崎税関へ
  • 新潟:新潟運上所から新潟税関へ

など、開港当時各地に置かれていた「運上所」が「税関」と名を改めたタイミングも、保税倉庫の台頭とほぼ時を同じくしています。

参考

赤レンガ倉庫&赤レンガパーク、双方のロケーション

双方は「赤レンガ倉庫が、赤レンガパーク内に位置している」という関係にありますが、

赤レンガパークは、倉庫を含み、倉庫の外周部分に広がっています。

あかいくつ号

  • 「赤レンガ倉庫・マリン&ウォーク」バス停(往路)
  • 「赤レンガ倉庫前」バス停(復路)

ベイサイドブルー(横浜駅行き)に

  • 「赤レンガ倉庫前」バス停

が、それぞれ用意されていますが、「倉庫」「パーク」とも、みなとみらい線の日本大通り駅からも馬車道駅からも徒歩圏内です。

参考

「赤レンガ」隣から港を望める公園

赤レンガパークは、メインスペースが赤レンガ倉庫二号館のすぐ隣に位置する緑地広場で、緑地の中から大さん橋やベイブリッジが望めることが売りの一つとなっている公園です。

新港中央広場から進むと、その魅力はよりハッキリ伝わりますが、

地面に施された線路のような加工は、保税倉庫としての赤レンガ倉庫在りし日に、ここに鉄道が通されていたことに由来しています。

参考

観光スポット・赤レンガ倉庫のおすすめポイント

「観光スポット・赤レンガ倉庫」でイチ推し出来る魅力としては、両倉庫間のスペースである「イベント広場」にて開催される各種のイベントを挙げることが出来ます。

単体での観光スポットとしての魅力の他、人気イベントについてはそこに加算されるリピート需要が大きな武器になっている状況ですが、同じ新港ふ頭内には、赤レンガ倉庫以外にもワールドポーターズマリンウォーク万葉倶楽部ハンマーヘッドDREAM DOORなど様々な商業施設が用意されています。

参考

旧税関事務所遺構

赤レンガ倉庫二号館のすぐ北隣にあるのは、かつてこの場所にあった税関事務所の遺構です。

残念ながら、かつての税関事務所は関東大震災被災によって「遺構」となってしまいました。在りし日の姿は現地の案内板にプリントされていますが、赤レンガ倉庫に勝るとも劣らない威容を備えていたようです。

地震発生(1923年=大正12年9月1日)から約100年が経過した現在は、ロケーションに恵まれた緑地内にあって、どこか人工のオブジェのようなアクセントとなっています。

旧税関事務所も「震災」を現在に伝える施設のうちの一つですが、他にも例えば日本大通りに作られた慰霊碑、JR石川町駅傍から始まる大丸谷坂沿いに作られた震災地蔵尊、元町公園内・エリスマン邸裏に遺された山手80番館遺構等々。

関東大震災の爪痕は、現在もなお横浜中心部に多く残されています。

参考

旧横浜港駅プラットホーム

税関遺構からプラットホームへ

旧税関事務所遺構の説明板の向こう側、赤レンガパークの北西の端には、島式ホームのような「何か」の姿が確認できます。

新港中央広場方向から赤レンガパーク内部、さらにはその「何か」に向かって、

線路のようなものが伸びているのがわかりますが、これはかつて本当に鉄道の線路が通されていたことの名残りです。

旧横浜港駅プラットホーム

かつてのこの場所には横浜港よこはまみなと駅」という実在の駅が置かれていて、

連絡列車が、東京駅との間を約40分で結んでいました(※)。

日本が世界の一等国として認められていった過程はまた、明治後半に始まった工事が無事竣工した、横浜港の更なる発展が確約されていく過程でもあったのですが、そんな時代に「花形」だった電車のルートですね。

当時の現役機関車だった110形(※3)は、今もJR桜木町駅傍で展示されていますが、時あたかも明治末から大正年間。

当時の横浜港の発展も、「世界の中の日本」を感じさせる象徴の一つでした(※2)。

開国当初に抱えた「ハンデ」である不平等条約が完全に撤廃されたのが、赤レンガ倉庫2号館竣工と同年の1911(明治44)年

これは横浜・新橋間に日本初の鉄道が開通した約40年後の出来事ですが、横浜港駅開業と同年(1920年)には、日本は国際連盟の常任理事国に就任しています。

参考

横浜の歴史と赤レンガ倉庫

横浜開港から約半世紀後に訪れた竣工の時以来、一貫して保税倉庫としての役割を務めてきた赤レンガ倉庫は、昭和最後の年である1989年(昭和64年/平成元年)に倉庫としての現役を引退します。

その後開港150周年を目前に控えた2002年(平成14年)に「観光スポットとしての赤レンガ倉庫」に生まれ変わりました。

赤レンガ倉庫のはじまり

1917年(大正6年)、開港後の貿易規模拡大に伴う形で沿岸の整備が進んだ横浜港では、明治の半ば過ぎ(明治32年=1899年)に着工した新港ふ頭が竣工しますが、その間1911年(明治44年)には赤レンガの二号館が竣工し、その2年後の1913年(大正2年)には赤レンガ倉庫の一号館が竣工しました。

横浜開港(安政6年=1859年)から、約半世紀後の出来事です。

貿易港・横浜の新しい中心となった新港ふ頭内でも、『日本最初の荷物用エレベーターや消火水栓(スプリンクラー)、防火扉などを備えた、日本が世界に誇る最新鋭の』(赤レンガ公式サイトより引用)、ふ頭を代表する倉庫が赤レンガ倉庫だったようです。

被災と暗転、老朽化から終焉へ

しかし不運なことに、ここからしばらく横浜は冬の時代に突入します。

新港ふ頭竣工(大正6年=1917年)のわずか6年後の惨事である関東大震災被災(大正12年=1923年)と、さらには第二次世界大戦末期の戦災という、20世紀前半の首都圏にとっての二つの衝撃を、立て続けに受けてしまうことになるんですね。

被災、復興、そしてまた被災、さらにその後のGHQによる接収と続いた赤レンガ倉庫の冬の時代は、1956年(昭和31年)のGHQによる接収解除明けまで継続します。

とはいえ、ここは逆に言えば「1956年には接収が解除されました」ということで、これより先国内の意思で復興・再開発を進めることが出来るという節目でもあったのですが、日本経済、さらには日本社会の勢いが右肩上がりだった戦後の高度成長期、残念ながらやがて赤レンガ倉庫では施設の老朽化が言われるようになり、さらには貿易港としての横浜港の中心も、新山下・本牧ふ頭などへと移動を始めました。

状況的に、赤レンガ倉庫が横浜港で現役倉庫としての役割を終える時が刻一刻と近づいてくることになりましたということで、昭和が終わった1989年(昭和64年=平成元年)。

「赤レンガ」は倉庫としての役割を終えることになりました。

荒廃からの再生

80年に及ぶ、輝かしくも数奇な歴史を一旦閉じることとなった赤レンガ倉庫ですが、その直後から見るも無残な廃墟化が進みます。

壁一面落書きだらけという悲惨な状態になっていくのですが、そんな「赤レンガ」が目に見える形で再生への軌道に乗り始めたのは、いわゆる「失われた20年」と呼ばれた時代真っ只中の平成中期、西暦2000年前後のことです。

サッカーW杯が日本開催され、横浜会場で決勝が行われた2002年に、新生・赤レンガ倉庫がリニューアルオープンしました。

倉庫としての赤レンガ終焉(1989年)から、新生赤レンガ倉庫開業(2002年)直後にかけての時代はまた、横浜中心部の再開発プランである「みなとみらい21計画」が表立って成果を上げ始めた時代でもあったのですが、ここから今につながる「赤レンガ」の新たな歴史が始まります。

タイトルとURLをコピーしました