長崎の文明開化
オランダ坂を下って大浦海岸通りまで出た後、海側に向かって右方向へ大浦海岸通沿いを歩いていくと、長崎みなとメディカルセンター前に、“運上所跡”、“鉄道発祥の地”、二つの石碑が置かれています。
運上所跡

運上所(長崎税関 “運上所跡“)とは、”外国船からの税金徴収や貨物の検査を行うために設置された機関”(長崎税関公式サイトより引用)で、現在の組織で言うところの税関のルーツに当たります。

長崎では、江戸時代を通じておかれていた長崎会所、幕末に新たに作られた湊会所を経て、この地に運上所が作られていますが(参考:湊会所跡)、同じく幕末に開港した港町である横浜、箱館、新潟、兵庫(神戸)にも、それぞれ同時期に運上所が設置されました(参考:神奈川運上所跡、旧新潟税関庁舎)。
やがて明治に入ると長崎運上所はじめ全国の運上所は一斉に“税関”と名称変更し、現在に至ります。
鉄道発祥の地碑

“鉄道発祥の地”碑は、
前記した運上所跡碑のすぐとなりに置かれています。

ここでいう”発祥”は、国内で初の営業運転(参考:日本初の鉄道開通へ)が行われた”横浜・新橋間”に対して、“国内で初めて蒸気機関車が運転された地”であることを意味しています。

