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【横浜山手の坂道】陣屋坂(山手本通りからビヤザケ通り方面へ)
陣屋坂へ
about 陣屋坂
陣屋坂は、山手本通りの横浜外国人墓地/ブラフ99ガーデン前付近からビヤザケ通り(本牧通り方面)に向かって伸びた坂道です。
薩英戦争(1863年)勃発の原因となった生麦事件発生(1862年)や、長州藩と列強(英仏蘭米)間の武力衝突である下関戦争発生(1863~1864年)など、開国間もない日本で江戸時代が終わりを迎えようとしていた頃、英国軍がこの地に陣取ったことから”陣屋”坂と名づけられました。
近代史の中では港の見える丘公園の歴史と重複する部分が多々ありますが、英軍の駐屯は生麦事件発生を契機として1863年=文久3年より始まり、1875年=明治8年まで続きました(『横浜・中区史』より)。
ビヤザケ通りから、山手本通りへ
ビヤザケ通りから陣屋坂に向かう場合、北方小学校前交差点でセント・ジョセフの坂方向に曲がらずそのまま直進し、一つ先の”諏訪町交差点“で上り方向に向かって左の道へ入ります。陣屋坂への分岐は細い道で始まっているのでやや不安感を煽られもするのですが、分岐をつきあたりまで歩くと、
つきあたり右側、上り坂方向には二車線幅程度の道路が広がっています。
旧YISキャンパス付近
道幅も広くなり、かつ坂の傾き自体も緩やかになったこの道沿いには、かつて横浜インターナショナルスクール(以下YIS。公式サイト)の敷地が道路の両側に広がっていました(現在は本牧地区の新キャンパスに移転済みです。後述)。坂道右上付近に見える緑色のネットは、かつてのYISの運動場のものです。
ワシン坂についてまとめた別記事でも触れましたが、YISのキャンパスは2021年を目途に本牧地区への移転が決定し、2022年4月現在、新キャンパスへ移転済みです(参考:YIS公式サイト “new campus now open“)。
YISありし日の付近一帯には、バスケットコート、テニスコート程度の広さを持った運動場をはじめとする学校の施設や看板、通り沿いの建築物、聞こえてくる学生の声等々から、この一帯だけどこか海外から区画を持ってきたような雰囲気となっていました。
とはいえ、移転して久しい今となっては、結構昔のことのように感じなくもありません。
施設の老朽化や、キャンパス自体が元々手狭だったことなどに移転理由があるようですが、今後はさらにこの一帯の雰囲気も変わっていく事になるのかもしれませんね。
陣屋坂を上りきると、正面には横浜地方気象台、右手が港の見える丘公園、左手すぐのところには山手の横浜外国人墓地で、
振り返れば”陣屋坂”の碑銘と、緩やかな下り坂(=陣屋坂)です。
道なりに坂道を下り続けていくと、諏訪町の交差点でビヤザケ通りへ合流し、その後本牧通りへと進んでいくことになります。
ケンジ君のコーナー
余談として、陣屋坂を上りきった付近に作られた交差点は普通の十字路と比べると変則的な十字となっているのですが、この交差点がグーグルマップで”あいつとララバイ ケンジ君のコーナー“という、新名所(?)に指定されていました。
“あいつとララバイ”は80年代の横浜を舞台とした、かつての週刊少年マガジンの人気連載漫画です。”ケンジ君”はその主人公にあたる人物ですが、このコーナーに限らず、そもそも”ララバイ”は全編が横浜中心部だらけの漫画で、同じ山手本通り沿いにある港の見える丘公園はじめ、山下公園やマリンタワーなど、象徴的なスポットが(カッコイイセリフと共に)何度となく繰り返し出てきます。
ということで、この漫画を好きな人は横浜好き、横浜好きな人であれば恐らくはこの漫画を好きになれるのではないかという漫画のうちの一作が”あいつとララバイ”です(と、個人的には思っています)。
“ケンジ君のコーナー”と名付けられたこの交差点、作中どんなシーンで登場するのかはわかりませんが、それを探しながら読んでみるだけでも楽しいかもしれませんね。