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【街歩きと横浜史】「日本国新聞発祥之地」記念碑
「日本国新聞発祥之地」記念碑
横浜中華街(公式サイト)内・関帝廟通りを長安道側から少し入ったところに、
「日本国新聞発祥之地」記念碑が置かれています。
「日本国新聞発祥之地」記念碑は、英字新聞の邦訳新聞である「海外新聞」発行(1864年)を記念してのもので、編集者であったジョセフ彦(浜田彦蔵)の記念会によって1994年に設置されました。
日本国内で初めて”新聞”というメディア(情報伝達媒体)が誕生したことを記念して作られたもので、海外新聞発行より先、新しいメディアである新聞が、従来流通していた瓦版にとって代わって行くことになります。
海外新聞の創刊年については、1864年説と1865年説、二説があるようです(横浜開港資料館 “ジョセフ・ヒコ『海外新聞』“)が、海外新聞の時代は、現在のように毎日発行されるものではなく、「慶応元(1865)年5月から翌2年12月まで26号発行された」(日本新聞博物館 “初の民間邦字紙の創始者 ジョセフ・ヒコ“)というような、ゆっくりペースの刊行物でした。
ちなみに海外新聞の第一号は、海外”新聞”ではなく”新聞誌”と呼ばれたようです(兵庫県播磨町 “新聞の父 ジョセフ・ヒコ“)。
やがて1871年になると、現在では当たり前となっている「日刊」ペースで新聞が発行されるようになるのですが、この点が記念されているのが馬車道駅前の”日刊新聞発祥の碑“です。”日刊新聞発祥の碑”は、現在の毎日新聞とは別の媒体である「横浜毎日新聞」発行(1871年)を記念して、日本新聞協会が碑を置きました。