【日本大通り/関内】横浜公園(JR関内駅前、日本大通り傍)

日本大通り(県庁・大さん橋)駅
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横浜公園今昔

ロケーション

最寄りはJR根岸線関内駅、準最寄りとして、みなとみらい線の日本大通り駅が挙げられます。

どちらの駅からも徒歩圏内にあるという、開港期以来の由緒を持つ公園です。

参考

横浜公園の歴史

開港地での「彼我」の共存

開港7年後の慶応2(1866)年。開港場で大火災が発生し、インフラの大半が焼失しました。

その大火災からの復興時。

明治3(1870)年、まずは開港場の中心エリアに「延焼防止エリア」機能を持たされたという「日本の近代街路の発祥」・日本大通りが作られると、引き続き明治9(1876)年には、旧・港崎遊郭跡地に日本人・外国人共用の「彼我公園」が設置されました。

彼我とは「彼」=外国人、「我」=日本人の意であり、「外国人と日本人共用の公園」といった意味が含まれていますが、この彼我公園現在の横浜公園のルーツにあたる公園です。

彼我庭園(後述)すぐ傍にある噴水を横浜公園内から見たとき、その向こうに伸びている道が日本大通りです。

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リチャード・ヘンリー・ブラントン

横浜公園や日本大通りを設計した英国人土木技師、リチャード・ヘンリー・ブラントンさんの胸像は、現在も横浜公園内、日本大通り側の入り口傍に置かれています。

根岸線・関内駅高架下(馬車道商店街傍)には、同じくブラントンさんの実績である日本初のトラス構造の鉄橋かねの橋」に関する記念碑が置かれていますが、山手111番館やベーリックホール等を設計したアメリカ人建築家、J.H.モーガンさん同様、横浜には縁が深い「助っ人」であることがわかります。

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彼我庭園

日本大通り側入り口から横浜公園に入ったとき、左手に位置する日本庭園が彼我庭園です。

昭和53(1978)年に横浜スタジアムのこけら落としと同時に造園され、平成28(2017)年には、都市緑化フェアの横浜開催を記念して「彼我庭園」と命名されました。

かつての横浜公園が「彼我公園」と呼ばれていたことからの命名ですね。

横浜中心部では、この平成29年より「ガーデンネックレス」が年中行事に組み込まれることとなりました。

入り口は横浜公園内に三か所、大さん橋通り沿いに二か所用意されていますが、

庭園内は池を取り囲む散策コースになっています。

落ち着いた気分にさせてくれる雰囲気に満ちていて、

都心部に作られた「憩いの場」的な空気が魅力です。

庭園内からは横浜スタジアムのウイング席が見えていますが、この微妙なミスマッチ感も彼我庭園の持ち味ですね。

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横浜公園と横浜スタジアム

以前は横浜公園の中に横浜スタジアムがゆとりなく詰め込まれている印象もあったのですが、公園の「スキマ部分」(公園南西部、北東部)にウイング席が増設され、さらにはバックネット裏の大規模改修工事が竣工した現在。

「横浜スタジアムに公園が付いている」という感じの、とてもバランスが取れた状態が整いました。

日本大通り側入り口付近の一帯から、旧横浜市役所・JR関内駅方面に抜けていく一帯に作られたスペースは、毎年春になるとチューリップが華やかな一帯でもありますが、現在残された横浜公園的なスペースのメイン部分にあたります。

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