この記事を読むのに必要な時間は約 1 分50秒です。
英一番館(ジャーディン・マセソン商会横浜支社)跡
日本初の外資系企業跡地
ジャーディン・マセソン商会
開港広場公園傍の交差点付近、山下公園通り沿いには、日本初の外資系企業である”英一番館”=ジャーディン・マセソン商会の横浜支社跡があります。ちなみにジャーディン・マセソン(公式サイト)は、かつてのような単体の商社としてではありませんが、イギリスの企業グループの持株会社として現存しています。
ジャーディン・マセソンの公式ホームページ内、社史の2ページ目には同社の横浜進出に関する記載がありますが、”In 1855, JM & Co inaugurated the steamer cargo line from Calcutta to the Far East. The Firm became the first foreign trading house to establish in Japan by acquiring Lot No. 1 in the first Yokohama land sale”(1855年、ジャーディンマセソン商会はカルカッタから極東への貨物船ラインを開設し、日本においては横浜で、海外勢で初めて土地を取得すると、日本初の外資系企業となった)とまとめられています。
ちなみに、当時のジャーディン・マセソン商会に雇われ、同商会の長崎支社=グラバー商会を立ち上げたのが、若きスコットランド商人、トーマス・ブレーク・グラバーです。
横浜・長崎双方の商取引の相違は、早い時期から生糸が主力となっていた横浜での貿易(参考 税関HP “横浜港の主要輸出入品目“)に対して、幕末の長崎での貿易では武器・弾薬・軍艦など近代的な兵器が主力となっていた(長崎市公式観光サイト “グラバーって、どんな人?“)という点にあります。
当時グラバーが居住していたグラバー邸を中心としたグラバー園は(リンクはともに公式サイト)、現在も開港都市・長崎の有名な観光スポットになっています(参考:【開港都市・長崎の風景】グラバー通り)。
山下町一番地
英一番館の”一番”とは、かつての山下町の地番(山下町一番地)を意味しますが、かつての住所は現在も引き継がれていて、現在の山下町一番地には英一番館の跡地やシルクセンター(公式サイト)があるほか、かつての会社とは別の同名のレストラン(英一番館 公式サイト)や、その名を連想させる”英一番街(公式サイト)”というショッピングアーケードもあります。