帆船日本丸(みなとみらい地区、さくら通り沿い、ランドマークタワー傍)

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about 帆船日本丸

日本丸の誕生と、実績

日本丸(初代)は、昭和5(1930)年、当時の文部省(現・文部科学省)によって、公立地方商船学校の練習船として建造されました。

命名には「日本の海の王者に相応しい船にしたい」との祈りが込められています。

そもそもの建造のきっかけは、(相次ぐ遠洋航海の海難事故への対応策として)航海実習用の大型船が必要とされたことにありますが、ディーゼルエンジンは当時すでに国内の老舗企業だった池貝鉄工所(茨城を拠点とする会社です)が担当、設計を英国のラメージ&ファーガッスン社が受け持った後、神戸の川崎造船所で不具合を修正し、船籍港であった東京港へ向かう運びとなりました。

帆船日本丸は、当時の日英の技術の結晶でもあったんですね。

進水後の日本丸は”太平洋の白鳥”の異名の下、1930(昭和5)年から1984(昭和59)年まで約半世紀、昭和のほぼ全期間にわたって活躍し、最終的には総航海距離が地球約45周分=183万キロ(独立行政法人 海技教育機構 “日本丸”の記載によると127万キロ)、育った実習生は11500人(同6509人)に及んだという、中々とてつもない実績を残すこととなりました。

戦時中や終戦直後、朝鮮戦争時には輸送船や復員船としての航海にも従事した時期がありますが、”昭和”も終わりに近づいた1984(昭和59)年、その役割を”二代目”へと引き継いだ後に、みなとみらいを終の母港とすることになりました。

一方、”初代”に勝るとも劣らない優雅な外観を持つ二代目日本丸は、現在も現役の練習船として、多くの航海練習生達を育てているようです。

参考

日本丸と、メモリアルパーク

現在、日本丸は国の重要文化財に指定されていますが、日本丸の引退年である1984(昭和59)年9月、日本丸を迎え入れるために工事されたのが、みなとみらいエリアのさくら通り沿いにある現在のドックです。

ドック内部の水を抜いて、日本丸の掃除・修繕作業が出来るような構造になっています。

日本丸とドックに寄り添う形で置かれているのが横浜みなと博物館、日本丸、ドック、みなと博物館等を含む施設が日本丸メモリアルパークです。

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日本丸の総帆展帆・満船飾

日本丸は、4月~11月の各月に、原則として毎月一回、日中に総帆展帆そうはんてんぱん(普段畳まれている全ての帆を広げること)を行います。午前・午後にそれぞれ一時間ずつ”展帆てんぱん“と”畳帆じょうはん“の作業が含まれるため、総帆展帆が披露されるのはそれらの時間を引いた時間(11時30分~15時)です。

総帆展帆の他、横浜の開港記念日(6月2日)と国民の祝日(10時~16時頃)には、お祝い用の国際信号旗をかかげる満船飾まんせんしょくも行われます。

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