【三渓園/外苑地区】旧矢箆原(やのはら)家住宅(合掌造りの家)

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旧矢箆原(やのはら)家住宅

外苑地区奥の”合掌造り”へ

旧矢箆原(やのはら)家住宅と白川郷

三渓園内、外苑地区で旧東慶寺仏殿のほぼ隣に位置する旧矢箆原やのはら家住宅は、元々は世界遺産として有名な、岐阜県・白川郷にあったという合掌造りの住宅です。

ダム建設による村の水没によって、昭和の半ば、三渓園に移築されることとなりました。

白川郷と白川村、荘川町

世界遺産”白川郷”にあたる一帯は、”白川郷”を含む白川村(岐阜県大野郡)の中で、やや北側に位置しています。

これに対して、かつて”白川郷の一部”を形成していた、旧矢箆原家住宅が置かれていたというエリアは、ダム建設に伴う水没以前、白川村の南部に隣接する現・高山市荘川しょうかわ町(旧・荘川村)に含まれていました。

“荘川村”時代、村の一部が御母衣みぼろダム建設工事に伴って水没することとなった荘川町は、御母衣ダムを挟んで白川村の南部に隣接するという、高山市の西端にあたるエリアです。

上記した”世界遺産エリア”から、御母衣湖北部に作られた御母衣ダムまでは、車で約20分程度(徒歩だと4時間20分)の距離があります。

現在も、御母衣ダムのある御母衣湖の南側一帯には”荘川”の名を持つ地が広がっていますが、”白川郷”は、”白川”という地名を有す(世界遺産エリアを含む)一帯の他、その南部にあたる御母衣湖周辺にも飛び地的に存在しているという形で形成されています。

合掌造りの家@三渓園

ということで、繰り返しになりますが、飛騨高山の山中にて南北に広がった”白川郷”のうち、御母衣みぼろダム建設によって”かつて矢箆原やのはら家住宅が置かれていた旧荘川村”の一部の水没が決まったことから、矢箆原家住宅については昭和の半ば(昭和35年=1960年)に、三渓園へ移築される運びとなりました。

“丘の上の三渓園名物”である旧燈明寺とうみょうじ三重塔同様、貴重な文化財の延命措置にあたるという形の移築ですね。

施設内の重要文化財の中では唯一内部見学が可能で、ボランティアスタッフの方が”合掌造り”の内部を案内してくれます。

参考

矢箆原家・一階

一階には、今でも薪がくべられた囲炉裏(矢箆原家の居住空間)や、

水場、

夫妻の寝室や応接間のような私的な部屋、来客用の書院造の部屋等が、大体半々で用意されています。

矢箆原家・二階

割と急な階段を上って進む二階(屋根裏)は、

かつて養蚕のために使われていた空間です。

現在は矢箆原家で使われていた農具の他、

養蚕のための道具が展示されています。⠀

一階・二階とも、思った以上に広く機能的で、かつ綺麗に保存されているので、ガイドさんの案内付きで見学した場合、小旅行気分が高まって、”お腹いっぱい”感を味わえる施設の一つです。

矢箆原家住宅のロケーションと三渓園

旧矢箆原家住宅は、外苑地区の一番奥まったところに位置しています。

つまり三渓園内で散策するとして、その雰囲気に十分馴染んだところで”合掌造りの旧矢箆原家住宅”にたどり着くことが出来るという形になっているのですが、園内を順路に沿って進む場合。

“矢箆原家”を過ぎると、あとはほぼ大池沿いをまっすぐ進む、正門(=出口)までの一本道となります。

ロケーション的には三渓園の奥に位置している、といえばその通りなのですが、”それまでの時間”を考えた場合には正門近くに感じることがなくはない、体感的には”園内のほぼオーラス付近、最後に近い見どころ”とも感じるのが矢箆原家住宅です。

改めて、このレイアウトにも絶妙なものを感じるところですね。

江戸時代あたりに作られた住居だと、特に古くから栄えたエリアにあっては、ものによっては今でも十分実用に供するなんてことがままあったりしますが、三渓園内に移築された旧矢箆原家住宅についてもそのご多分に漏れず。

同時代の建物ということでは、例えば内苑地区の臨春閣が持つ格調高さに対して、矢箆原家住宅の場合は意外や意外(?)という、機能的な面が光る形となっています。

いずれにしても、”古い時代の建築である”ことが逆に魅力となって引き付けられる形ですね。

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