亭榭とその周辺
臨春閣と亭榭
三渓園・内苑地区に位置する小さい池の向こう、臨春閣を望める位置にかけられた橋は亭榭と名付けられています。
亭”榭”とは見晴らし台を意味しますが、すぐ傍(内苑地区奥に向かって、亭榭の手前。写真左端)には重要文化財・旧天瑞寺寿塔覆堂が位置しています。
ちなみに寿塔とは生前墓、覆堂とはそれを収めるための建造物です。
また臨春閣については、一説によると、それが”聚楽第”(元々は関白時代の豊臣秀吉の住居・政庁として建造された施設です)であることが理想とされたようです。
内苑地区の小さな池の上に架けられた”亭榭”は、秀吉の正室である高台院(北政所・ねね)が秀吉没後に秀吉を弔うために建てた京都・高台寺の観月台をモデルとしているようですが、一方でその手前に位置する覆堂は、”太閤”豊臣秀吉が母である大政所の長寿を祝う形で、桃山時代(16世紀末)に建築しました。
諸々含めて、亭榭が観月台をモデルとしたのは、”秀吉ゆかりの寿塔覆堂傍にかける橋だから”ということなのでしょう。
それらを望む位置に移築されたのが、”聚楽第”だと目された臨春閣です。
多少なりとも歴史に興味があれば、思い半ばに過ぐものがあるだろうという形で、少なからず伝わってくるものを感じることになるところではないでしょうか、というような一帯ですね。
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