【横浜山手の西洋館】横浜市イギリス館(港の見える丘公園内、元町中華街最寄り)

駅別スポット紹介
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“丘公園”の中心に位置する西洋館

about 横浜市イギリス館

ロケーション/開館情報/沿革

横浜市イギリス館は、港の見える丘公園内のほぼ中央に位置しています。

目の前にはバラがメインの庭園である”イングリッシュローズの庭”が整備されているため、特に初夏・晩秋の見学がお勧めですが、それ以外の季節でも、真冬以外(春先~初冬)であれば何かしらの花を楽しむことが出来ます。

横浜市イギリス館公式サイト
開館時間:9:30~17:00
休館日:第4水曜日(休日の場合は翌日)/年末年始(12/29~1/3)
入館料:無料
館内ガイド:二か月に一度、有料開催(1館30分程度、500円)。
詳細は公式サイト “館内特別ガイド“へ。
昭和12(1937)年 イギリス総領事公邸として竣工
昭和44(1969)年 横浜市が取得
平成2(1990)年 横浜市指定有形文化財に指定
平成14(2002)年 横浜市イギリス館として、一般公開開始

参考

総領事公邸(横浜市イギリス館)と総領事館(開港資料館旧館)

施設名 ロケーション かつての機能
横浜市イギリス館(旧英国総領事公邸) 丘公園内 総領事の居住空間
開港資料館旧館(旧英国総領事館) 日本大通り 総領事の職場

函館・長崎・新潟・神戸の各開港地には軒並み英国領事が着任し、領事館が置かれたのですが、開国の突破口となった横浜には英国総領事が着任し、総領事館とその公邸が置かれました。

現在、旧英国総領事公邸は元町・中華街駅傍の港の見える丘公園内に、旧英国総領事館は日本大通りに遺されていて、それぞれ横浜市イギリス館、開港資料館旧館となっています(いずれも見学可、見学料無料)。

余談として。

横浜市イギリス館=旧英国総領事公邸をイングリッシュ・ローズの庭側から見ると、屋根の上に煙突が4本立っているのがわかりますが、かつてのイギリスでは煙突の数は暖炉の数に等しいもので、英国総領事公邸竣工当時のイギリス一般家庭の煙突の数は、精々1~2本だったと言われています。

確かに、普通の家で無駄に家の中を暖炉だらけにしてみても、暖かくなりすぎて逆に過ごしにくくなりそうですからね。

反対に、たくさんの暖炉が必要な家がどういう家なのかを考えてみたら、元々それなりのサイズを持つ家なのだろうということで、なんとなく普通の家との違いが察せられるところでもあります。

この辺りの事情は、横浜市イギリス館=旧英国総領事公邸についても然り。

見る人が見れば外観を一瞥しただけで「普通の家じゃないな」ということがはっきりわかる形となっているのですが、実際、かつてのイギリスではそれ(暖炉の数=煙突の数)が”富の象徴”とみられていた節があったと言われています。

17世紀のイギリスでは、暖炉の数に応じて暖炉税という税金も取られていたようですが、これは暖炉の数が多いのであれば裕福な家なのだろう、という推測と共にあった課税ですね。

参考

旧・総領事公邸と横浜市イギリス館にとっての”節目”

横浜市イギリス館の歴史 主な出来事
昭和12年(イギリス総領事公邸竣工) 盧溝橋事件発生
昭和44年(”総領事公邸”を横浜市が所有) 東大安田講堂事件発生
平成14年(横浜市イギリス館オープン 北朝鮮による拉致事件の進展(5人帰国)

赤レンガ倉庫開業
山下臨港線プロムナード開通etc

イギリス総領事公邸が竣工した昭和12年は(日中戦争開戦のきっかけとなった)盧溝橋事件の発生年、”旧・英国総領事公邸”が横浜市の所有となった昭和44年は左翼学生による東大安田講堂事件の発生年、”イギリス館”がオープンした平成14年は北朝鮮に拉致された日本人の存在が北朝鮮によって公式に認められ、かつ5人が帰国した年にあたります。

ということでこれまでのところ、旧イギリス総領事公邸=横浜市イギリス館にとっての節目の年は、何の偶然か戦前戦後・昭和平成を問わず、時の世相を反映したかのような大事件の発生年にあたっています。

果して今後はどうなるでしょうか。

余談として、最後の”平成14年=2002年”について。

今の(観光施設としての)赤レンガ倉庫や、旧山下臨港線の廃線跡を利用した遊歩道である山下臨港線プロムナード等も、イギリス館の一般公開と同じく2002年の開業・開通です。今となっては廃れてしまいましたが、”開港の道”と銘打たれたみなとみらい線沿線の観光コースも、2002年にオープンしました。

参考

横浜市イギリス館へ

バス停そばの入口

横浜市イギリス館への入り口は、市バス20系統やあかいくつ号“港の見える丘公園前”バス停傍にあります。公園中央入口から入ることも出来ますが、“最寄り”はバス停そばの入口です。

イギリス館の歴史を感じさせる一コマとして、入り口付近、門の左側に、かつて総領事館の使用人(=メイドさん)が利用した通路が今も残されています。

通路は、階段を上って壁伝いに続きます。勝手口や通用口のような通路ですね。

参考

横浜市イギリス館・館内の特徴

玄関

イングリッシュ・ローズの庭に隣接する、イギリス館の玄関です。

それと知っていれば玄関外からも様子が伺えますが、”イギリス館”の文字の下部、建物内部に注目すると、

玄関付近の空間での工夫として、玄関入ってすぐのところ(天井部分)に、光を取り込むための穴があけられています。

参考

船旅とイギリス館

イギリス総領事公邸が作られた昭和12年当時。海外から日本への渡航、反対に日本から海外への渡航は、船旅が原則でした。

もちろん、公邸の設計にあたったイギリス政府工務局・上海事務所の関係者も、そのご多分に漏れていません。

ということで「関係者一行の日本への船旅は、総領事の公邸設計にも強い影響を与えることになった」と考えられているのですが、例えば館内の階段の手すりやドアノブ等に巻貝のようなデザインが採用されている他、

館内には貝殻を思わせるようなデザインが採用されている箇所がありますが、

窓についても、船を思わせる丸窓が用いられている箇所があります。

イギリスといえば、かつての帝国海軍の母体となった”Royal Navy”を有す、世界三大海軍国(日英米)の一国でもあります。日本への長い船旅が生んだとされる総領事公邸のデザインもまた、”お国柄”と共にあるものなのかもしれません。

参考

旧衣装室跡と近代イギリス社会

現在”イギリス館”の女子トイレとして使われている入り口傍の空間は、かつてロッカー(衣装室?)だったようで、

洋服掛けについては、総領事公邸当時から残されている設備の一つにあたるようです。

横浜山手の西洋館には、「使用人とご主人様一行の連携の跡」が遺されている場合があります。

横浜市イギリス館の場合、”総領事やその賓客”と”総領事公邸付の使用人”の関係ということになりますが、各部屋には使用人を呼ぶ際のボタンが備え付けられている、反対に使用人側の控室には呼び出しランプが点灯する機械が備え付けられています。

呼び出しの際にはライトが点灯する、ライトが点灯したら”使用人”がその部屋に向かっていく、そんなやり取りがかつてのイギリス総領事公邸では繰り返されていたんですね。

館内の構造/スペースの利用

二階建ての館内は、一階は客間や食堂など公的な空間として、二階は寝室など私的な空間として作られていますが、現在はそのそれぞれが展示室やイベントルームとして有料で利用(ex.一階ホールのコンサート利用、二階集会室の会議利用等)されています。

参考

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