【みなとみらい線沿線さんぽ/夏の横浜】夏の赤レンガパークと新港ふ頭・横浜港

馬車道(横浜市役所)駅
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赤レンガパークから望む”夏の空”

夏真っ盛りな毎日が続く8月下旬のとある午後。

朝も早い時間から残暑の日差しが照りつける、赤レンガ倉庫/赤レンガパークまで。

船着場の向こうでは、入道雲をバックに大さん橋横浜ベイブリッジも視界に入っていますが、

1号館と2号館、二つの赤レンガ倉庫の真上で照り付ける夏の日差しは中々強烈で、ゆっくり歩いているだけでも汗が噴き出してくるような熱気の源となっています。

この日も、午前の時点で30度を超える夏日でした。

どこか訪問者が少なく見えるのは、この暑さの中、多くの人がクーラーの効いた倉庫内で時間を過ごしているためですね。

ベイブリッジの向こうには入道雲が浮かんでいて、まだまだ夏真っ盛りを感じさせられます。

赤レンガパークの端には海上保安庁の第三管区海上保安本部の施設(不審船が展示されている資料館など)があり、海保の巡視船も停泊しています。

仕事か訓練か、時折敷地の内部から号令掛けのような大きな声が聞こえて来ることもありますが、旧・帝国海軍の系譜にある海上自衛隊共々、彼らのおかげで日本近海の平和・安全が守られているのだと思えば、港町在住の人間としては感謝の念しかありません。

巡視船の船体の色合いも、どこかそんな季節感、“まだまだ続く暑い夏”にマッチしているように見えるのですが、こと”季節感”ということでは、つい先日、神奈川県代表・慶應義塾高校野球部が107年ぶりの全国制覇を決めたというドラマチックな甲子園大会も終わり、その後ほどなく中高生の夏休みも終了しました。

学生(特に中高生)であれば、まだまだ暑いけど、気分も生活もぼちぼち秋モードといったところでしょうか。

実際、旧暦では”立秋”は8月の上旬(7日or8日)に当たりますと言うことで、つまりは秋の始まりからはや一ヶ月が経過している状態にあたります。

にもかかわらずの、夏真っ盛り、でもあるんですよね。

ということで、以下は余談として。

1年365日の”目盛り”に季節の節目や行事などが載せられたという、いわゆる”こよみ“は、原則として地球の公転周期(約一年)や、月の満ち欠け(約一ヶ月周期)を基準とします(このほか、昼夜が生じる原因となる地球の自転は、およそ一日周期です)。

昼夜のリズム、日々の寒暖の傾向、月の満ち欠けは、いずれも地球の自転・公転活動によって形成されますが、その周期性を1年365日、一ヶ月約30日、1日24時間の形に割り振った上で、日々それぞれの環境を”風物詩”の形で整えたもの=暦が、結果的に人々が日々の生活を営む際の柱となっていくんですね。

もちろん、カレンダーの日付だけでも”暦”としての意味は持つでしょうが、それは例えば春=過ごしやすい、夏=暑い・昼が長い、秋=過ごしやすい、冬=寒い・夜が長い、これを大まかな日本の四季の特徴だと知っているなど、「カレンダーを読む時点で、そこに単なる日付け以上の何らかの意味を見出せる」ことに、その根拠があります。

「この日付であれば、大体こうだ」をある程度想定できる時点で、知らずのうちに「暦を知っている」ということですね。

ところで、地球の公転周期を基準とした暦は太陽暦、月の満ち欠けを基準とした暦は太陰暦、双方(地球の公転周期・月の満ち欠け)を基準とした暦は太陰太陽暦と呼ばれますが、太陰太陽暦では、「新月を月の始まりと捉えた、月の満ち欠けによる”一ヶ月”判断(太陰暦)」に、「一年が太陽の動きによって24等分されるという二十四節気にじゅうしせっき」(太陽暦的な捉え方)による補足を加えて、季節のズレが修正されていました。

太陰暦だけだと一ヶ月がおよそ29日、一年換算だと11日程度のずれが生じてしまうことになるので、延々太陰暦だけで進めた場合、やがて季節にも大幅なずれが生じます。そのため、それを“太陽暦”的な捉え方(前記した二十四節気の捉え方)で修正しようじゃないかとしたのが、かつて日本で使われていた”旧暦”にあたる太陰太陽暦だったんですね。

“かつての暦”である旧暦に対して、現在使われている暦は新暦と呼ばれますが、旧暦が太陰太陽暦だった日本に対して、欧州では一貫して太陽暦が用いられてきました。

旧暦がユリウス暦、新暦がグレゴリオ暦(日本の新暦もグレゴリオ暦)で、共に太陽暦です。

  旧暦(かつての暦) 新暦(今の暦)
日本 太陰太陽暦
飛鳥時代〜幕末/明治
グレゴリオ暦(太陽暦)
明治〜
欧州 ユリウス暦(太陽暦)
紀元前1世紀〜16世紀
グレゴリオ暦(太陽暦)
16世紀〜

“ユリウス暦”は、制定者である共和政末期のローマの将軍、ユリウス・カエサルの名に由来します。

ユリウス・カエサル、英語名はジュリアス・シーザー(シェイクスピアの戯曲に、同名のものがあります)で、「賽は投げられた」など数々の名言を残したことでも知られるという、共和政ローマを代表する将軍(終身独裁官)ですね。

古代ギリシャ、さらにはアレクサンドロス大王の時代の後を受け、身分間隔差に起因する問題を抱えながら発展を続けたという共和政ローマの末期・・・というよりはほぼ共和政ローマ最末期の将軍で、「古代ローマ」ということでは、彼の遠縁に当たる養子、”インペラートル・カエサル・アウグストゥス”と名乗ったオクタヴィアヌスの時代以降、ローマは帝政の時代へ突入することとなりました。

要は、太陽暦の旧暦は、概ねその頃制定されたものだということですね。

時あたかも、紀元前1世紀のことです。

この旧暦に対して現在の暦=新暦は、同じ太陽暦の”ユリウス暦”をより正確なものに改正する形で制定されたという、グレゴリオ暦です。

16世紀のローマ教皇・グレゴリウス13世(第226代、在位:1572-1585)によって作られたことから、この名がつけられました。

グレゴリウス13世は、世界初の聖歌であるグレゴリオ聖歌(※)を編纂したと考えられていることでお馴染み、グレゴリウス1世(第64代、在位:590-604)の約1000年後のローマ教皇ですが、時あたかも近世・大航海時代真っ只中の欧州で作られた暦は、やがて明治5年、文明開花を迎えた日本に持ち込まれる運びとなりました。

合理性を旨とすることでお馴染みの現代社会にあっては、なくてはならないものの一つにこのグレゴリオ暦が挙げられることになるでしょう。

それにしても、なぜ、ユリウス・カエサルやグレゴリウス13世が暦の制定に関わることになったのか。

バイタリティあふれる権力者が皆一様にそうなるわけではなかったとしても、カエサルが現在の欧州にあたるエリアを自身の力で仕切り直した将軍であったこと、グレゴリウス13世が大航海時代、かつプロテスタント台頭時代のローマ・カトリック教皇であったことは、その本質を示唆するところではあるでしょう。

激動の時代の権力者として、より正確な暦を欲したことがそれぞれ理由となっている形ですね。

世界史、というより欧州史では東ローマ帝国の滅亡をもって中世が終わりを迎えたとされますが、”旧・古代ローマの消滅”を意味する近世に入った後でユリウス暦がグレゴリオ暦へと進化したことなど、まさに時代の進化を思わせる象徴的なポイントの一つでもあります。

古代ギリシャ・古代ローマの文芸復興運動であるルネサンスが中世末期を彩ったことと合わせて考えると、より一層その色が引き立つところとなりそうですね。

翻って、日本社会にとっての旧暦=太陰太陽暦が日本に持ち込まれたのは、今を遡ることはるか昔、飛鳥時代(7世紀前半、推古天皇や聖徳太子の治世)のことです。

以降、幾度かの改暦を挟みつつ、なんと明治の始まりに至るまで(太陰太陽暦が)継続して使用されました。

大体あっているように感じつつも微妙にズレているとも判断できてしまう、どこか季節が体感の先を行く感じを持ち合わせていることでもお馴染みなのが旧暦の持ち味ですが、”微妙なズレ”は、二十四節気にじゅうしせっき発祥地である中国・黄河流域の気候に合わせて作られたものであることに依っています。

とはいえ、それでも日本の暦としておよそ1200年の長きにわたって日本社会で親しまれてきたことから、そこで主張される四季にしてもまた、どこか日本人の心身にフィットするように感じるのでしょう。

現在のグレゴリオ暦=新暦は確かに便利なものではありますが、日本国内・日本社会におけるその味わい深さのほどはといえば、まぁ、年数相応のおよそ1/10サイズ(旧暦比)といったところでしょうか。

この辺りは、積み重ねてきた時間分の、要は歴史の重みが為せる業といったところですね。

暦の上ではすでに秋になって久しいとはいえ、日夜の体感から察せられる状況から思うに、この暑さだけはまだまだ当分続きそうです。

参考

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