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【横浜山手の西洋館】横浜市イギリス館

港の見える丘公園

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【横浜山手の西洋館】横浜市イギリス館

横浜市イギリス館へ

総領事公邸入り口と、メイドさん用通路

横浜市イギリス館(公式サイト。以下”イギリス館”)への入り口は、市バス20系統“港の見える丘公園前”バス停傍にあります。

入り口付近、門の左側には、かつて総領事館の使用人=メイドさんが利用した通路が今も残されていますが、

通路は、階段を上って壁伝いに続きます。勝手口や通用口のような通路ですね。

 

イングリッシュ・ローズの庭とイギリス館の煙突

イギリス館前に広がるのは、バラがメインの花壇である”イングリッシュ・ローズの庭“です。

庭園からイギリス館を見ると、建物の上に煙突が4本立っているのが分かりますが、煙突の数は当時の西洋館にとって”富の象徴”だと判断されていたようです。

 

イギリス館・玄関

イングリッシュ・ローズの庭に隣接する、イギリス館の玄関です。

それと知っていれば玄関外からも様子が伺えますが(”イギリス館”の文字の下部、建物内部に注目!)、

玄関付近の空間での工夫として、玄関入ってすぐのところ(天井部分)には、光を取り込むための穴があけられています。

 

船旅とイギリス館

イギリス総領事公邸が作られた当時の海外から日本への渡航、反対に日本から海外への渡航は、船旅が原則でした。もちろん、公邸の設計にあたったイギリス政府工務局上海事務所の関係者も、そのご多分に漏れていません。

日本への長い船旅から強い影響を受けた、そのことが設計にも強い影響を与えたのだと考えられていますが、館内の階段の手すりやドアノブ等には、巻貝のようなデザインが採用されています。

館内には他にも貝殻を思わせるようなデザインが採用されている箇所がありますが、

窓についても、船を思わせるような丸窓が用いられています。

日本への船旅事情もそうですが、イギリスといえばかつての帝国海軍の母体となった”Royal Navy”(英海軍公式サイト)を有す、世界三大海軍国(日英米)の一国でもあります。

“船旅が生んだ”側面を持つ総領事公邸のデザインは、そのあたりの事情ともまた、親和性が高そうです。

 

旧衣装室跡と近代イギリス社会

現在女子トイレとして使われている入り口傍の空間は、かつてロッカー(衣装室?)だったようで、

洋服掛けについては当時から残されているとのことです。

横浜山手の西洋館の特徴として挙げられることの一つに、「メイドさんとご主人様一行の連携の跡」が遺されている点があります。

イギリス館の場合、総領事やその賓客と、総領事館付の使用人の関係ということになりますが、各部屋にはメイドさん=使用人を呼ぶ際のボタンが備え付けられていて、メイドさん側の控室には、その呼び出しランプが点灯する機械が備え付けられています。

呼び出しの際にはライトが点灯する、ライトが点灯したらその部屋に向かっていく、そんなやり取りがかつてのイギリス総領事館(や、多くの西洋館)では繰り返されていたんですね。

 

横浜市イギリス館の歴史

イギリス総領事公邸として

以下『 』内は、西洋館の公式サイト(横浜市緑の協会山手西洋館横浜市イギリス館“)の案内より引用です。

『鉄筋コンクリート2階建てで、広い敷地と建物規模をもち、東アジアにある領事公邸の中でも、上位に格付けられていました。

主屋の1階の南側には、西からサンポーチ、客間、食堂が並び、広々としたテラスは芝生の庭につながっています。2階には寝室や化粧室が配置され、広い窓からは庭や港の眺望が楽しめます。

地下にはワインセラーもあり、東側の付属屋は使用人の住居として使用されていました。玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版(ジョージⅥ世の時代)や、正面脇の銅板(British Consular Residence)が、旧英国総領事公邸であった由緒を示しています。』

 

総領事公邸と総領事館

港の見える丘公園内には、かつて英国総領事の居住空間だった旧イギリス総領事公邸=イギリス館がありますが、日本大通り開港広場の間には、かつて英国総領事の職場だった旧英国総領事館=開港資料館の旧館(横浜開港資料館公式サイト)があります。

開国後のイギリスの日本進出では、函館をはじめ長崎や新潟等、開港地には軒並み領事が着任し、領事館が置かれることになったのですが、開国の突破口となった地・横浜には総領事が着任し、総領事館とその公邸が置かれました。

 

イギリス総領事公邸から横浜市イギリス館へ

現在港の見える丘公園がある地は開港期以来の英国ゆかりの地ですが、そのことを象徴する施設が、現在も公園中心部に位置している横浜市イギリス館です。

以下、イギリス総領事公邸が”横浜市イギリス館”となるまでの、主な流れです。

1937年(昭和12年) イギリス総領事公邸竣工
1969年(昭和44年) 旧イギリス総領事公邸を横浜市が取得
2002年(平成14年) 横浜市イギリス館としての一般公開開始

1937年(昭和12年)にイギリス総領事公邸として建てられた建物を1969年(昭和44年)に横浜市が取得、2002年(平成14年)から横浜市イギリス館(以下イギリス館)としての一般公開が始まりました。

一般公開に先立って、平成2年(=1990年)には横浜市指定有形文化財に指定されています。

 

旧・総領事公邸と横浜市イギリス館にとっての”節目”

余談ですが、イギリス総領事公邸が竣工した昭和12年は盧溝橋事件(外務省外交史料館特別展示資料 “盧溝橋事件の発生“)の発生年、”旧・総領事公邸”が横浜市の所有となった昭和44年は左翼学生による東大安田講堂事件(NHK放送史大学紛争 東大安田講堂事件“)の発生年、”イギリス館”がオープンした平成14年は北朝鮮に拉致された日本人の存在が北朝鮮によって公式に認められ、かつ5人が帰国した年にあたります。

ということでこれまでのところ、イギリス総領事公邸=イギリス館にとっての節目の年は、なぜか戦前戦後・昭和平成を問わず社会的にインパクトがある、それも時の世相を反映したかのような事件の発生年にあたっています。

それぞれの時代に日本社会が直面していた問題が浮き彫りになった年に、かつて国際社会を一国でリードしていた英国関連施設の節目が被るというあたり、何か因果なものを感じなくもないとも取れそうですが、果して今後はどうなるでしょうか。

ちなみに、最後の”2002年”について。

今の(観光施設としての)赤レンガ倉庫や、旧山下臨港線の廃線跡を利用した遊歩道である山下臨港線プロムナード等も、イギリス館の一般公開と同じく2002年の開業・開通です。

今となっては廃れてしまいましたが、”開港の道”と銘打たれたみなとみらい線沿線の観光コースも、2002年にオープンしました(今も桜木町駅前や港の見える丘公園内・フランス山地区の入り口付近に、赤レンガ風の小さい記念碑が残されています)。

同じ港の見える丘公園内での”2002年”の跡としては、展望台横に、同年日本で開催されたサッカーW杯・決勝開催を記念する植樹があります。

 

開館情報/アクセス

開館情報

開館時間/入場料 9:30~17:00(7・8月は~18:00)/入場無料
休館日 毎月第4水曜日、年末年始(12/29~1/3)

 

アクセス

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