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【横浜山手の西洋館】横浜市イギリス館(港の見える丘公園内、元町中華街最寄り)

港の見える丘公園

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【横浜山手の西洋館】横浜市イギリス館(港の見える丘公園内、元町中華街最寄り)

about 横浜市イギリス館

イギリス総領事公邸から横浜市イギリス館へ

開港期以来の英国ゆかりの地(参考:港の見える丘公園の近代史)である現在の港の見える丘公園横浜市公式サイト)、ほぼ中央に位置するところに建てられた西洋館が、旧・イギリス総領事公邸=現・横浜市イギリス館(公式サイト)です。

1937年(昭和12年)にイギリス総領事公邸として建てられた建物を、1969年(昭和44年)に横浜市が取得、2002年(平成14年)から横浜市イギリス館(以下イギリス館)としての一般公開が始まりました。

横浜市イギリス館の公式サイトでは、イギリス総領事公邸時代の由緒が『鉄筋コンクリート2階建てで、広い敷地と建物規模をもち、東アジアにある領事公邸の中でも、上位に格付けられていました』『玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版(ジョージⅥ世の時代)や、正面脇の銅板(British Consular Residence)が、旧英国総領事公邸であった由緒を示しています』(『 』内、西洋館公式サイト(横浜市緑の協会 “横浜市イギリス館“)案内より引用)等々と紹介されています。

総領事公邸と総領事館

みなとみらい線・日本大通り駅傍に位置する日本大通り開港広場の間には、かつて英国総領事館だったという由緒のある開港資料館旧館横浜開港資料館公式サイト)がありますが、総領事公邸・総領事館双方の違いは、総領事の居住空間が総領事公邸、総領事の職場が総領事館であるという点にあります。

開国後のイギリスの日本進出では、函館をはじめ長崎や新潟等、開港地には軒並み領事が着任し、領事館が置かれることになったのですが、開国の突破口となった横浜には総領事が着任し、総領事館とその公邸が置かれました。

横浜市指定有形文化財

一般公開に先立つこと約10年、平成2年(=1990年)には横浜市指定有形文化財に指定されています。

横浜市イギリス館へ

バス停そばの入口

横浜市イギリス館(以下”イギリス館”)への入り口は、市バス20系統あかいくつ号“港の見える丘公園前”バス停傍にあります。公園中央入口から入ることも出来ますが、バス停そばの入口が最寄りです。

イギリス館の歴史を感じさせる一コマとしては、入り口付近、門の左側には、かつて総領事館の使用人=メイドさんが利用した通路が今も残されています。

通路は、階段を上って壁伝いに続きます。勝手口や通用口のような通路ですね。

イギリス館の煙突

イギリス館前に広がるのは、バラがメインの花壇である”イングリッシュ・ローズの庭“です。庭園からイギリス館を見ると、建物の上に煙突が4本立っているのが分かりますが、煙突の数は当時の西洋館にとって”富の象徴”だと判断されていたようです。

イングリッシュ・ローズの庭との関連ということでは、イギリス館周りはイングリッシュ・ローズの庭をはじめとする花壇で固められていて、その花壇には石畳の小径が作られています。

玄関

イングリッシュ・ローズの庭に隣接する、イギリス館の玄関です。

それと知っていれば玄関外からも様子が伺えますが、”イギリス館”の文字の下部、建物内部に注目すると、

玄関付近の空間での工夫として、玄関入ってすぐのところ(天井部分)に、光を取り込むための穴があけられています。

船旅とイギリス館

かつてイギリス総領事公邸が作られた当時(~昭和10年代)の海外から日本への渡航、反対に日本から海外への渡航は、船旅が原則でした。もちろん、公邸の設計にあたったイギリス政府工務局上海事務所の関係者も、そのご多分に漏れていません。

関係者一行の日本への長い船旅が、総領事館設計にも強い影響を与えたのだと考えられていますが、館内の階段の手すりやドアノブ等には、巻貝のようなデザインが採用されています。

館内には他にも貝殻を思わせるようなデザインが採用されている箇所がありますが、

窓についても、船を思わせるような丸窓が用いられています。

イギリスといえばかつての帝国海軍の母体となった”Royal Navy”(英海軍公式サイト)を有す、世界三大海軍国(日英米)の一国でもあります。”船旅が生んだ”側面を持つ総領事公邸のデザインは、そのあたりの事情ともまた、親和性が高そうです。

旧衣装室跡と近代イギリス社会

現在女子トイレとして使われている入り口傍の空間は、かつてロッカー(衣装室?)だったようで、

洋服掛けについては当時から残されているとのことです。

横浜山手の西洋館の特徴として挙げられることの一つに、「使用人(≒メイドさん)とご主人様一行の連携の跡」が遺されている点があります。

イギリス館の場合”総領事やその賓客”と”総領事館付の使用人”の関係ということになりますが、各部屋には使用人を呼ぶ際のボタンが備え付けられていて、使用人側の控室には、その呼び出しランプが点灯する機械が備え付けられています。呼び出しの際にはライトが点灯する、ライトが点灯したらその部屋に向かっていく、そんなやり取りがかつてのイギリス総領事館では繰り返されていたんですね。

旧・総領事公邸と横浜市イギリス館にとっての”節目”

余談ですが、イギリス総領事公邸が竣工した昭和12年は盧溝橋事件(外務省外交史料館特別展示資料 “盧溝橋事件の発生“)の発生年、”旧・総領事公邸”が横浜市の所有となった昭和44年は左翼学生による東大安田講堂事件(NHK放送史大学紛争 東大安田講堂事件“)の発生年、”イギリス館”がオープンした平成14年は北朝鮮に拉致された日本人の存在が北朝鮮によって公式に認められ、かつ5人が帰国した年にあたります。

ということでこれまでのところ、イギリス総領事公邸=イギリス館にとっての節目の年は、なぜか戦前戦後・昭和平成を問わず社会的にインパクトがある、それも時の世相を反映したかのような事件の発生年にあたっています。

それぞれの時代に日本社会が直面していた問題が浮き彫りになった年に、かつて国際社会を一国でリードしていた英国関連施設の節目が被るというあたり、何か因果なものを感じなくもないとも取れそうですが、果して今後はどうなるでしょうか。

ちなみに、最後の”平成14年=2002年”について。

今の(観光施設としての)赤レンガ倉庫や、旧山下臨港線の廃線跡を利用した遊歩道である山下臨港線プロムナード等も、イギリス館の一般公開と同じく2002年の開業・開通です。

今となっては廃れてしまいましたが、”開港の道”と銘打たれたみなとみらい線沿線の観光コースも、2002年にオープンしました(今も桜木町駅前や港の見える丘公園内・フランス山地区の入り口付近に、赤レンガ風の小さい記念碑が残されています)。

同じ港の見える丘公園内での”2002年”の跡としては、展望台横に、同年日本で開催されたサッカーW杯・決勝開催を記念する植樹があります。

開館情報/アクセス

開館情報

開館時間/入場料9:30~17:00(7・8月は~18:00)/入場無料
休館日毎月第4水曜日、年末年始(12/29~1/3)

アクセス

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