【横浜街歩き/元町中華街エリア】アメリカ山公園

about 山手本通り

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【横浜街歩き/元町中華街エリア】アメリカ山公園

アメリカ山公園

元町中華街駅の改札奥にあるエスカレーター、もしくはエレベーターで屋上階まであがったところに位置する公園がアメリカ山公園です。

元町中華街駅下車後、山手本通り方面に出たい場合のショートカットルート上にある公園ですが、見晴らしの良さ、こじんまりしたローカル感、花壇の花や行き届いた整備、近隣スポットへのアクセスが良好であることなどから高評価が多めです。

アメリカ山公園、山手本通り(外国人墓地)側から。

アメリカ山公園の敷地は、元々開国期にアメリカの公使館建設が予定されていた地でした。

それが「アメリカ」山公園命名の由来ですが、結局のところ予定は未定の計画でしたということで、実際にはこの地にアメリカ公使館が建設されることはありませんでした。

以降、アメリカ公使の書記官の居住地となったこと等を経て、終戦直後には用地がGHQに接収され、接収解除によって1971年(昭和46年)に日本側に返却されると、みなとみらい線が開通した2004年(平成16年)には、アメリカ山公園として整備される運びとなります。

一帯に広がった元町貝塚の調査が進み、新たな貝塚が発見されたのもアメリカ山公園整備時の話ですが(2006年)、アメリカ山公園はその後2009年に一部開園、2012年に全面開園されました(元町貝塚については後述)。

現在、山手本通り側入口には、公園内の地図や周辺案内図が壁に掛けられています。

小奇麗に整えられた園内は、緑が多めです。

この道の左手、公園すぐ隣に通された坂道が見尻坂です。

アメリカ山公園出口に向かうと、右側に位置するのが見尻坂外国人墓地です。

公園の正面に見えるマリンタワーは、ここからだとまだやや距離があります。

公園中央は芝生エリア。

公園端にも歩道が用意されているのもポイントですが、

毎年春はそこそこ人気のある花見スポットとなります。

道沿いの壁には開港当時を物語る絵や地図が、3枚ほど飾られています。

公園奥(エレベーター降りて右手)には、小さめの芝生スペースも用意されています。

 

元町貝塚について

ちなみに元町貝塚について、横浜市の資料等から一部を引用すると、

その立地について、

「元町貝塚は、横浜港を取り囲むように広がる平坦な下末吉台地に属し、横浜の市街地の
中心となる大岡川低地の周辺に東南側の根岸から山手にかけて発達する本牧・根岸・山手
台地の北端部で外国人墓地の北隣の海抜約 22mの台地上に占地している。」

「眼下に広がる関内・関外地区は、江戸初期まで大きな入海であったが、吉田勘兵衛等に
よって埋め立てが行われた。さらに安政6年(1859)の横浜開港により、景観は一変
し、それまでの寒村であった横浜は海外からの玄関口となり、一大商業地として発展して
いった。外国人の来訪も増え、山下から山手にかけ、居留地が形成された。」

(以上、横浜市『横浜市指定史跡名勝天然記念物』関連資料の元町貝塚の項より抜粋)

さらには土器の出土状況について、

「もともと元町貝塚として知られていた貝塚は、今回の調査区の外側、南西部の斜面にあり、そのまま保存されることになりました。今回新しく発見された貝塚は、従来知られていた貝塚の北東約30m、尾根を挟んだ北東部斜面にあり、東西7m南北18mほどの規模をもっています。この発見によって、元町貝塚は、南西斜面と北東斜面との、2か所の貝塚から成る遺跡であることがはっきりしてきました。」

「この2つの貝塚から出土する土器は、いずれも縄文時代中期前半(約5,000年~4,500年前)に属するものが中心となり、2つの貝塚は、ほぼ同時期に尾根をはさんで北西と南東の斜面に形成されたものと考えられます。」

「貝層からは、縄文時代前期末から縄文時代中期中ごろまでの土器片が比較的多く見つかりました。主体となる土器は、平塚市の五領ヶ台貝塚から出土した土器を標式とする「五領ヶ台式土器」と呼ばれるもので、縄文時代中期前半(約5,000年~4,500年前)に属し、細い隆
起線や半截竹管文(はんさいちくかんもん)・三角形沈刻文(ちんこくもん)などの文様が特徴的です。」

土器の他にも様々な出土品があったようですが、およそ以上のように要所がまとめられています。

(以上、横浜市ふるさと歴史財団・埋蔵文化財センター『埋文よこはま21 2010年2月28日号』より抜粋)

 

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