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【横浜山手の公園】港の見える丘公園・文学館エリア

港の見える丘公園

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【横浜山手の公園】港の見える丘公園・文学館エリア

二つの文学館と二つの”霧笛”

about 文学館エリア

香りの庭の奥、バラとカスケードの庭の横にあたるエリアには、横浜ゆかりの作家である大佛次郎さんの記念館、”大佛次郎記念館”(公式サイト)が設置されています。

大佛次郎記念館のすぐ隣には”霧笛橋前広場”と命名された広場が作られ、霧笛橋前広場から伸びた陸橋”霧笛橋”によって、神奈川近代文学館(公式サイト施設パンフレット)前までの道がつながれています。

現在二つの文学館がある一帯は、昭和40年代の横浜再開発の一環で創出されました。

「横浜市が公園東部に買収した地をどのように利用するか」というプランの途上、まずは大佛次郎記念館が建設され、余った地が神奈川県に譲渡された後、神奈川近代文学館が建設されます。

双方とも一般の入館は有料で、中高生割引等あり、小学生の入館は無料です。元町中華街駅側から港の見える丘公園に入った場合、共に公園の一番奥のエリアに位置しています。

 

大佛次郎記念館

大佛次郎記念館は、山手111番館横浜市イギリス館の間にあるバラとカスケードの庭横、

香りの庭の奥に位置していますが、ぱっと見でそれとわかる、個性的な建物が特徴です。

1973年の大佛次郎さん没後、遺族から遺品や蔵書の寄贈を受けた横浜市は記念館設立を計画するのですが、当初は日本大通りイギリス総領事館跡が予定地と見込まれていました。

ただし「趣向がフランス寄りだった大佛次郎さんの記念館としては、旧・イギリス総領事館は合わないだろう」ということで、一転して港の見える丘公園内が候補地となります。

この変更が可能となった背景には、丁度公園東側の地を横浜市が買い取ったところだったというタイミングの良さもあったようですが、結局イギリス総領事館の跡地は横浜開港資料館(公式サイト)となり、1978年5月1日、港の見える丘公園・南東部の一角が大佛次郎記念館として開業しました。

入館料は、大人200円(20人以上の団体については150円)、小中学生以下無料です。館内では常設展示の他、特別展示や所蔵資料の公開、講演会、会議室の貸し出し、お土産品販売、喫茶室営業等々を行っています(公式サイト”施設利用について“)。

参考:『都市ヨコハマ物語』P153-156、大佛次郎記念館公式サイト大佛次郎について

 

霧笛橋前広場

大佛次郎記念館の横を海側に歩いていくと、海側への見晴らしが開けた”霧笛橋前広場”へと進みます。近代文学館へと続く霧笛橋前に作られた広場は展望台エリア同様見晴らしがよく、横浜港に出入港する船や停泊中の船の汽笛も聞こえてきます。

一般的には、霧笛とは「視界の悪い海域を進む船舶が、衝突を避けるために鳴らす汽笛」の事を言いますが、霧笛橋前広場がいう”霧笛”は元来の意味をそのまま拾い上げただけのものではなく、元町の老舗レストラン”霧笛楼(公式サイト)”と同じく、大佛次郎さんの小説『霧笛』を含めたものだと思われます。

広場には”日本初のワルツ『港』”の作曲を記念した碑が置かれていますが、作曲者の吉田信太さん(東京音楽学校=現東京藝大音楽学部OB)が横浜の生まれだということからの縁で、ここに作られたようです。

同じく”横浜ゆかりの楽曲”だと言われている楽曲を記念した碑は、展望台エリアにも“港が見える丘”歌碑が置かれています。かたやワルツ、かたや歌謡曲という違いはありますが、どこか好対照を成しています。

 

霧笛橋

霧笛橋前広場の横からは、近代文学館へ通じる”霧笛橋”が通されています。

霧笛橋の下には山手111番館横とちどり坂を結ぶ道が通されている他、バラとカスケードの庭への入り口も造られています。

 

神奈川近代文学館

霧笛橋を渡りきると、近代文学専門の美術館・博物館である神奈川近代文学館(公式サイト)横へ。

神奈川近代文学館は、港の見える丘公園南東部に大佛次郎記念館が建設された後、1984年10月に日本近代文学専門の博物館、専門図書館として開館しました。

入館料は、一般で特別展700円、通常企画展500円、常設展は260円です。その他、65歳以上、学生・二十歳未満、高校生割引もあります(入館料詳細についてはモバイル版公式サイトに記載があります)。

館内では常設展示の他、特別展覧会や機関誌の発行(公式サイト)やグッズの販売(公式サイト)等が行われ、蔵書・資料の閲覧が出来る他、会議室のレンタルも可能です。

 

アクセス

大佛次郎記念館

 

霧笛橋前広場

 

神奈川近代文学館

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