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山手本通り沿い”元町公園”エリア名物
about 自働電話
電話開通100年記念の”公衆電話ボックス”レプリカ
”自働電話”とは、かつての公衆電話・電話ボックスの名称です(自働電話について、参考:開港都市・新潟の風景 “新潟県下の公衆電話のはじまり“)。
東京・京橋に(1900年=明治33年に)初めて設置されたこの”自働電話”のレプリカが、元町公園(公式サイト)の山手本通り沿いエリアに設置されたのは、”東京・横浜間の電話開通100周年”にあたる1990(平成2)年のことでした。
電話開通100周年にあたる1990年はといえば「ケータイ」前夜のポケベル時代(普及状況自体が全盛期の少し前で、業界によっては実務の中で広まり始めた頃ですね)であり、まだまだテレカ=テレホンカードが世に広く流通していたという、”公衆電話+テレホンカード”の時代です。
“ピッチ”(=PHS)とポケベルの併用が(主に学生の間で)メジャーとなるのが大体この数年後(90年代の半ばあたり)位から、さらにその数年後位から”ケータイ”(ガラケー)が全盛期に向かい(00年前後~)、さらにその数年後位(00年代後半~)からは今につながるスマホの全盛期に入って行ったという、今にして思えば、その後四半世紀以上に及ぶ激動の時代のはじまりに作られた電話ボックスでもあったんですね(参考:読売新聞 “誰もが持ってたテレホンカード、あそこにあった公衆電話“)。
見た目が伝えるわかりやすいレトロな華やかさとは裏腹に、中々の含蓄深さを感じさせるタイミングでもありますが、同型のものが同じく開港都市である長崎のグラバー園にも設置されているほか(参考:九州大図鑑 “グラバー園の電話ボックス“)、神戸の旧居留地にも似たタイプの電話ボックスが設置されているなど、”開港都市”とは中々相性がいいタイプの(?)電話ボックスでもあります。
自働電話と山手本通りの四季
毎年年明けからしばらくは、紅葉後のこざっぱりとした木々の中で時間が過ぎていく自働電話付近ですが、
その後、桜の開花と共に一気に春が色づきます。
特に春の青空の下での満開の桜は見事ですが、
“自働電話”とのコントラストが鮮やかな様子は、
多くの”花見街歩き”客の目を楽しませています。
貝殻坂を下に望めるエリアからは、マリンタワーが視界に入ることでもお馴染みですね。
桜の季節が過ぎた後は、”開港前の横浜山手”を思わせるかのような(参考:近代横浜の始まり -開港場と周辺エリア-)、新緑の季節へ。
夏場には眩しかった緑も、秋の深まりと共にボチボチ紅葉の季節へ。
毎年師走に入ると、年の瀬に向けて山手234番館前を彩る真っ赤な紅葉が眩しくなるという、
一年最後の華やかな季節へと突入します。