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【横浜山手の公園】元町公園(元町商店街傍、西洋館のある公園)

元町公園

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元町公園(エリスマン邸、ベーリックホール、山手234番館)

about 元町公園

開港以来、横浜の発展と歩みを共にしてきた元町界隈だったのですが、関東大震災の発生によって壊滅的な被害を受けます。

元町百段のように、震災によって地形そのものが変わってしまう形で消滅してしまった施設もあったのですが、逆に震災を機に新たに誕生した施設もありました。

例えば、震災から7年後の1930年(昭和5年)、同年に開園した市営元町プールの周辺部を整理する形で開園したのが、現在の元町公園(横浜市緑の協会公式サイト “元町公園“)です。

参考:近代横浜の始まり -開港場と周辺エリア-開港都市・横浜の発展と関東大震災

ジェラール水屋敷の貯水槽から元町公園入り口へ

元町商店街側入口

写真つきあたりが元町公園の中央の入り口、左側は”ジェラール水屋敷の貯水槽”(後述)です。

ジェラール水屋敷地下貯水槽跡

開港期の元町公園一帯は、フランス人・アルフレッド・ジェラールさんのレンガ・西洋瓦工場が作られていた地であり、船舶への給水を行っていた貯水槽が置かれた地でもありました。

「ジェラールの水屋敷」から給水された山手の湧き水はかなり良質の水だったようで、ミナト・ヨコハマの知名度を世界的なものにすることにも一役買っていたようですが、残念ながら、現在はワシン坂の湧き水同様、飲み水としては使用できないとのことです。

当時の横浜山手と井戸の関係は、ビヤザケ通り沿いにある北方町のビール井戸や、横浜地方気象台敷地内にある井戸跡などにも、井戸の遺構という形でその跡が残されています。

元町公園入り口付近にある”水屋敷の貯水槽跡”もかつてを偲べる遺構の一つですが、

現在は、中で鯉が泳いでいます。

元町公園入り口付近

写真の右上方向には額坂につながる坂道、左奥方面には貝殻坂につながる坂道がそれぞれ通されていますが、キーワードが”湧き水””ジェラール”である一帯は、ちょうど両坂道の間に位置している元町公園入口をまたいで続きます。

写真の正面が公園の中央入口、元町商店街方向です。プール入り口付近からの眺めですが、元町商店街を背にして入り口に向かった場合とは逆に、左側に額坂、右側に貝殻坂が通されている形ですね。

中央には水を流す溝や遊歩道で作られた”せせらぎ広場”が用意されています。

プール入り口手前から公園入口に向かって左側には、遊具と”塗装業発祥の地”であることを記念した碑があります。”塗装発祥”は、かつての元町が”モノづくりの街”としての一面を持っていた時代を思わせる史跡です。

せせらぎ広場中央に位置している溝は、かつての湧き水の経路をイメージして作られたもので、この溝の下には”ジェラールの水屋敷”に向かう水が流れているようです。

ジェラールのレンガ工場跡と、今の元町公園

現在の水泳場事務所付近は、かつてジェラールの工場の中心地だったようで(現在は事務所のすぐ裏手にプールが、プールの向こう側には弓道場があります)、

「工場では色々な瓦が作られていた」ことが説明されていますが、公園内はこの付近から山手本通りに向かって、緑の多い一帯に入っていきます。

元町公園内から山手本通りへ

元町公園には、1.公園と外国人墓地の間に通されたルート(貝殻坂利用)、2.公園中央部に通されたルート、3.公園の西側に通されたルート(額坂利用)、ざっくり三通りの道が用意されています。

元町公園・外国人墓地間ルート(貝殻坂利用、山手資料館前付近へ)

元町公園のすぐ東隣には外国人墓地の敷地が広がっていますが、貝殻坂を利用するルートでは、元町公園・外国人墓地間の坂道を進みます。

元町商店街側からというよりは、山手本通り側から進むときにわかりやすいルートです。

元町商店街方面から貝殻坂までのアクセス方法には、外国人墓地隣に通された見尻坂の入り口付近から右側に伸びた道を道なりにまっすぐ進むルートと、元町公園内から貝殻坂を目指すルート、二通りあります。

桜の季節や紅葉の季節にお勧め度が高くなるルートですね。

自働電話・山手234番館前付近へ(公園中央部を進むルート)

公園中央(プール・弓道場より上部)から山手本通りへ向けて”山道”を歩いていくと、山手本通り沿い、横浜山手聖公会山手234番館前へ進みます。

今も元町公園名物の一つである、白い電話ボックスは、

東京・横浜間の電話開通100周年を記念して、時あたかも「ケータイ」前夜のポケベル時代、平成2年(1990年)に作られました。”自働電話”とはかつての公衆電話の名称ですが、1900年=明治33年に、東京・京橋に初めて設置された電話ボックスが再現されたものです。

山手本通りの向こう側に位置しているのは、横浜市が管理する西洋館、山手234番館です。

春は桜の華やかさが目を引き、梅雨のしっとりしたアジサイの後は新緑が眩しく、晩秋から冬の初めにかけては紅葉が鮮やかな一帯です。

山手80番館遺構付近(西側ルート)

ベーリックホールとの間に通された額坂の上り入り口付近にも、元町公園の出入口があります。

公園内を歩いた場合、左手にプールを見ながら坂道を登った時にたどり着ける出入口の一つですが、

出入口傍には、外国人居留地時代の排水溝である”ブラフ講”の遺構が残されています。

かつての元町公園一帯は谷戸(丘陵地周辺の谷状地)だったため、安全で快適な暮らしのためには、雨水が谷戸に流れ込まないような工夫が必要でした。そこで、レンガ工場や給水場を作ったフランス人、かつて”水屋敷”の主であったジェラールさんによってブラフ講が作られたとされています。

現在の元町公園一帯は、ジェラールの工場跡地であると同時に、かつての居留地の中心部でもあったようです。

震災前に元町商店街から外国人居留地の中心部に向かって通されていた元町百段や、現在エリスマン邸の裏で遺構となっている山手80番館の在りし日の姿等が、かつての元町・山手の姿を後世に伝えています。

山手80番館遺構奥に見えるエリスマン邸(後述)は、平成のはじめ(平成2年=1990年)にこの地に移築され、以降公園の名物となりました。

エリスマン邸/ベーリックホール(西側ルート、山手本通り付近)

エリスマン邸の入り口横には、山手の西洋館や山手地区の案内が書かれた案内板が壁に埋め込まれています。

山手本通り側入り口付近から望むエリスマン邸は緑に囲まれているように見えますが、エリスマン邸側からだと、緑の向こうに山手本通りが見えます。

公園出口の向こう側に伸びた道は、市バス20系統のバス通りであるビヤザケ通りにつながる道で、左側に見えるのは横浜雙葉学園の校門です。この一帯は横浜雙葉学園(小学校から高校まで)と、サンモールインターナショナルスクール(外国人学校)があるという文教地区でもあります。

エリスマン邸のすぐ隣では、ベーリックホールのために取得されたという”元町公園の飛び地”にて、市が管理するベーリックホールが公開されています。

公園内施設・開園情報

施設名開園日・開園時間入場料他
元町公園プール7月14日~9月9日

9月3日~9月9日:9:00~17:00
それ以外:9:00~21:00

デイタイム(9:00~17:00):1時間200円
ナイター(17:00~21:00):1時間300円
元町公園弓道場年末年始の他毎月第三月曜日休場
それ以外は8:45~17:30開場
個人・団体利用可、個人は1時間130円
希望者に初心者講習あり。10時間5000円。
詳細は公式サイトにて。

アクセス

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