【横浜山手の坂道/港の見える丘公園エリア】ワシン坂(本牧エリア-山手エリア間)

元町・中華街(山下公園)駅
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ワシン坂へ

about ワシン坂

ロケーション

入り口付近

ワシン坂の入り口です。

ワシン坂の先では、山手本通り谷戸坂等を経由することによって、道なりに本牧地区山手地区・元町地区が結ばれる形となっていますが、まずは山手の丘の上に向かう急な坂道からのスタートです。

参考

“ワシン坂”の由来と湧き水

ハッキリとした由緒を思わせる”ワシン坂”の名前ですが、実は坂名の由来には諸説あるとされています。

どこか尤もらしく聞こえるのは、日米「和親」条約の”ワシン”がそのまま坂の名前になったという説でしょうか。開国後ほどなくして丘の上は外国人居留地となったのだという事情と照らせば、そうなったとしても取り立てて不自然は無いように思えます。

ほかには“湧き清水”坂、あるいは“鷲見”坂がなまってワシン坂といわれるようになった等々の説もあるようですが、それらが”ワシン”条約説に勝るかと問われると、どうでしょうね。

ともあれ、一説によると”ワシン坂”の名前の由来になったとされる湧き水が、今も”ワシン坂入口”信号横で湧き続けています。

湧き水は今でも生活用水として使われていますが、残念ながらすでに飲用には適さないようです。

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坂道沿いの風景

ワシン坂病院とワシン坂公園

急な上り坂であるワシン坂を登り始めると、割とすぐ出てくるのがワシン坂病院です。

戦後の山手に設立されたという、そこそこ長い歴史を持つ精神科病院ですね。

屋上階のフェンスが有刺鉄線付き鉄条網を思わせる形をしていたり、

病棟の窓に鉄格子がついていたりと、やや(?)物々しい見た目が特徴です。

現在では、設備も含めた施設のあり方自体が見直されている風潮も一部ではあるにはあるようですが、かつての精神科の病院では患者の安全確保のため、これらの設備が必要だとされていました。

現在でも、その捉え方は特に異端ではないようです。

そんなワシン坂病院のすぐ裏手あたり、上り方向に向かって左手にあるのがワシン坂公園です。

こじんまりした公園ですが、高台にあるので、天候次第では今でも富士山が見えます。

眼下に広がるのは、北方きたがた町、本牧町、本郷町あたり。

大まかには、JR根岸線の山手駅方向ですね。

ワシン坂公園のすぐ横には、眼下に広がるエリアからワシン坂へと通じる“猫坂”と呼ばれている結構急な階段坂がありますが、名前の由来は、かつて昭和の頃に捨て猫が多く捨てられ、結果猫が多く住みつくようになったことからのものだとのこと。

実際、今も山手町やその付近には各所に地域猫ちゃんたちの拠点があって、多くの場合地域住民にも可愛がられているようではありますが、“ルーツ”の一部にこういう話が含まれているとなると、それはそれでなかなか複雑な気分にさせられるところではあります。

ところで、ワシン坂沿いの風景ですが、”猫坂”付近まで登ってくると海側・新山下方面にも視界は開けてくるので、すぐ近くの花、遠くのベイブリッジと、結構文句ない景色が広がります。

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アメリカ国務省・日本語研修所

米国務省の日本語研修所は、日本に赴任する米国の外交官が日本語研修を受けるための学校です。

つい最近、元町・中華街駅前の“シドモア桜”から作られた苗木がこの日本語研修所に植樹されたことが話題となりました(※)。

この付近からも、はるか遠くに富士山が望めます。

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ワシン坂上公園/ヘレン記念教会

ワシン坂を上りきった辺りには、猫坂傍のワシン坂公園と名前のよく似た“ワシン坂上公園”という海側を臨む公園があって、

向かいには山手ヘレン記念教会というプロテスタント系の教会があります。

同じ通り沿いのもう少し先には、やはりプロテスタント系の山手ロイストン教会という教会があったのですが、現在教会は取り壊され、跡地にはマンションが建設されています。

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“丘の上”へ

この先の坂道は、厳密には“ワシン坂”の先に伸びた坂道です。

丘公園側から進む場合、ワシン坂への緩やかな下り坂道となっている部分で、途中には聖坂への分岐もあります(旧ロイストン教会や、丘公園・文学館エリアの少し手前から始まる下り坂=聖坂です)。

“港の見える丘”からの風景

キリスト教系の教会が多く、キリスト教とのかかわりも深いというのも元・居留地の故ですが、

この付近から道沿い風景が”港の見える丘”風になってきます。

夜はかなり綺麗な夜景が望めますが、およそこの付近からもう少し上り方向に歩いた先に、聖坂(下り)への分岐が用意されています。

旧横浜インターナショナルスクールエリア

以下、この付近のかつての風景です。

そのまま道なりに進んでいくと出て来たという赤レンガ風の建物は、横浜インターナショナルスクール(以下YIS)が所有していた施設です。

YISは1924(大正13)年創設の伝統校で、かつて(昭和・平成期)の”丘公園”周りはそのままYISのお膝元でもありました。

諸々の理由によって2021(令和3)年を目途に本牧地区に移転するプランが立案され、現在は新キャンパスへ移転済みです。

ここにはかつて幼稚園と講堂が置かれていました。

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港の見える丘公園前

旧YISエリアに入り、さらに歩くと山手111番館が右側に、

向かいにはYISの校舎がありました。

日本の学校でいうところの小学校から高校までの過程がこのキャンパスに設置されていて、YISのグラウンド等がこの校舎の裏手、陣屋坂沿いに広がっていたのですが、現在は、跡地にマンションが建設されています。

旧YISの向かい、横浜市イギリス館横を通過すると、

港の見える丘公園前交差点へ。道なりに伸びた、下り方向の坂道は谷戸坂です。

下り切ると、左手にはみなとみらい線の元町・中華街駅、その先には元町商店街が位置しています。

交差点右は港の見える丘公園、左側には横浜山手のメインストリートである山手本通りが伸びています。

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余談:ワシン坂エリアの”噂”

ワシン坂は、いわゆる”横浜山手”の文明開化イメージとは裏腹に、”心霊”だったり”事件”だったり”噂”だったりと、Google検索のサジェストで二番目以降に並ぶキーワードに、割と物騒なものが目立つ一帯となっています。

ちなみにその根拠は、現在の中区山手町が”The bluff”と呼ばれていた外国人居留地時代、現在ワシン坂病院が置かれている付近で発生した殺人事件(被害者・加害者共に英国人)に端を発しています。

尾鰭のついた話を含め、結局はほぼすべての風評がここに起因している形ですね。

ちなみにこの事件については、ノンフィクション本(”横浜・山手の出来事”)も残されています。

同じ”横浜山手”とはいえ100年以上前、なおかつ現在とは法的な性質が異なる土地だった時代の話ではあるのですが、居留地の社交クラブの支配人だった英国人男性が自身の妻によって殺害(ヒ素による毒殺)されたと結論づけられた事件は、当時の外国人居留地界隈を震撼させたという、中々にセンセーショナルなものだったようです。

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