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【横浜港と公園】横浜公園(JR関内駅前、日本大通り傍)
現在の横浜公園
横浜公園と横浜スタジアム
以前は横浜公園の中に横浜スタジアムがギチギチに詰め込まれている印象もあったのですが、双方の”スキマ部分”に横浜スタジアムのウイング席が完成した現在、「横浜スタジアムに公園が付いている」という感じになっています。
根岸線側に面した部分、中華街側に面した部分に客席が増設されたことによって、公園部分、球場部分がすっきり区分されました。
日本大通り側入り口付近の一帯から、旧横浜市役所・JR関内駅方面に抜けていく一帯に作られたスペースは、毎年春になるとチューリップが華やかな一帯でもありますが、現在残された横浜公園的なスペースのメイン部分にあたります。
彼我庭園
日本大通り側入り口から横浜公園に入った場合、左手にある日本庭園が彼我庭園です。
横浜スタジアムがこけら落としされた昭和53年(1978年)に造園され、都市緑化フェア(公式サイト)が横浜開催された平成29年(2017年)には、開催を記念して”彼我庭園”と命名されました。
庭園名は、かつての横浜公園が彼我公園と呼ばれていたことに由来しますが、横浜中心部では、この年より”ガーデンネックレス“が毎年春開催されることとなりました。
入り口は横浜公園内に三か所、日本大通り側に一か所、大さん橋通り沿いに二か所ありますが、
庭園内は池を取り囲む散策コースになっています。中央に池があって、
その周辺を歩けるようになっているのですが、
落ち着いた気分で散歩出来ることが多く、さすがに三渓園並とまではいきませんが、都心部に作られたエアポケット感が若干あるのが魅力です。
庭園内からは横浜スタジアムのウイング席が見えていますが、このミスマッチ感も彼我庭園の持ち味です。
横浜公園の歴史
日本大通り地区と横浜公園の歴史
“日本大通り地区の歴史(日本大通り、横浜公園、横浜スタジアム)“へ移転しました。
リチャード・ヘンリー・ブラントン
横浜公園や日本大通りを設計した英国人土木技師、リチャード・ヘンリー・ブラントンさんの胸像です。日本大通り側の入り口傍に置かれていますが、
胸像のすぐ右隣にはブラントンさんの経歴の他、横浜公園の歴史について書かれた案内板が5枚ほど設置されています。
根岸線・関内駅高架下(馬車道商店街傍)には、同じくブラントンさんの実績である日本初のトラス構造の鉄橋”鉄(かね)の橋“に関する記念碑が置かれていますが、山手111番館やベーリックホール等を設計したアメリカ人建築家、J.H.モーガンさん同様、ブラントンさんは横浜には縁が深い”助っ人”です。
彼我庭園すぐ傍にある噴水を横浜公園内から見たとき、その向こうに伸びている道が日本大通りです。