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【群馬/新潟青春18きっぷ旅:二日目その3】JR羽越本線村上駅、村上街歩き
JR羽越本線・村上駅にて
村上駅ホーム
新潟駅から白新線・羽越本線と乗り継いで、田園風景の中を1時間20分ほど走った後、羽越本線の村上駅に到着しました。”駅”の字が旧字体で書かれていて、かつ右から読んでいくという”驛上村”表記が目を引きますが、
ホームの上に吊るされているのは、村上名物・塩引き鮭を模したオブジェです。
その昔の村上地方では、鮭のことが”いよぼや”と呼ばれていたようですが、今に伝わる文化としての鮭漁や鮭食が根付いたのは、江戸時代中期(18世紀初頭以降)の話しです。
鮭の生態に合わせて河川工事が行われ、下処理や調理法にも当時の武士の美意識やゲン担ぎ、さらには今も変わらぬ村上の気候などが利用されているようで、村上の土地と一体となった文化として、現在に伝えられています。
実際、シーズンである冬季には今でも家の軒先に干された塩引き鮭を見ることができるようなのですが、雰囲気的に、ホームでは年中(カラフルな)塩引き鮭が干されているようです。
参考:イヨボヤ会館公式サイト “イヨボヤとは?“、村上市観光協会公式サイト “鮭 ―いよぼや―“、”越後村上鮭塩引き街道“
レトロな街灯と、その奥にあるのは地元・村上東中学校の生徒さんが作成した”光地祭り”(中学の学園祭のようです)の力作プロモーションポスターです。
“鮭・酒・人情の町 村上へようこそ”と、改めて観光用途に用いられていることが伝わってきますが、
改札を出ると、今到着した電車は、今度は新潟方面へ。
駅出口との間には、ややリアルな塩引き鮭が吊るされています。
村上駅前
4基のバス停の奥、正面に位置するのは、2006年(平成18年)に村上市観光協会(公式サイト、公式X)によって建てられた歓迎塔です。今年2023年にリニューアルされたようです。
塔の下部には村上大祭(村上市観光協会公式サイト “村上大祭“)で使われる”おしゃぎり”と呼ばれる山車の車輪や、鮭の塩引き(模造品)が飾られています(参考:永徳 鮭乃蔵公式サイト “村上駅前歓迎塔がリニューアル“)。
村上大祭は江戸時代初期より今に続く、村上市の一大イベントです(参考:村上市公式観光サイト “村上大祭の由来“)が、そのような伝統的なお祭りの他、昨今は笹川流れ(村上市公式サイト)や瀬波温泉(公式サイト)など、同じ村上市内の観光スポット間を結ぶ形でコースが設定されている、村上・笹川流れトライアスロン(公式サイト・2023年大会)も、村上の一大イベントになっているようです。
一番左側のバス停が、
“あべっ車”と呼ばれている、まちなか巡回バスのバス停でした(村上市公式サイト “まちなか循環バス“)。観光客も地元の人も使うという、共用バスのような雰囲気を感じさせるバスですね。
“あべっしゃ”は、村上地方の方言で”行こうよ”を意味するようです。
バス停の右隣には何やらおいしそうな食材マップが用意されていて、
視界にはその他、観光タクシーの広告や、地元村上市出身の作曲家による唱歌の歌碑が用意されている様子も入って来ます。
本来であれば「さて、ようやく到着した。それではどこから見て周ろうかな。何を食べに行こうかな」等々となるのが自然なところではないかと思うのですが、今回は青春18きっぷの旅の途上での、途中下車街歩き訪問でした。
めいっぱい時間をとっても精々1時間あるかないかという限られた時間の中で、まずは村上駅前から出ているバスを利用して、駆け足での観光をするだけしてみようということで、
駅からすぐのところにあった、観光案内所へ相談に入ることにしました。
観光案内所の建物の表向きは、古式ゆかしさを連想させるシックな色合いにまとめられていますが、昔ながらの村上の町並み自体も、特に00年代以降、景観整備のために”黒塀”に統一されて今に至っているようです(参考:村上市観光協会公式サイト “黒塀通り(安善小路)“、新潟県公式サイト “チーム黒塀プロジェクト“)。
「ごめんください」と観光案内所の中に失礼して、色々お話を伺ってみたところ「それなら町屋通りを歩いてくるのがお勧め」ですと丁寧に教えていただいたので、アドバイス通りにバスを使って町屋通りを尋ねてみることにしました。
町屋通りの風景
大町バス停へ
“まちなか循環バス あべっ車”で駅前を出発し、
町屋通りの大町バス停まで。
“あべっ車”で村上駅前から約5分。割とあっという間の到着となりました。
町屋通りと村上城
大町バス停の周辺一帯は、大町、小町、上町というように、地域名に”町”が付くエリアの中心部にあたるところで、バス停自体も”町屋通り”と呼ばれる通り沿いに位置しています。
この場合の”町屋”とは昔の商家のことであり、”町屋”通りとは即ち一帯が商家の密集地帯だったことの名残りを意味しています。
現地には”大町”の由来についてもまとめられていましたが、城下町の中でも中心部にあたったことからの命名であるようです。
通りを見渡してみると、道幅こそ車幅基準となっていることが分かりますが、道の両側に商家が並ぶ、あるいはそれと感じさせる雰囲気があるといったあたり、古くから栄えてきた街並みを感じさせます。
これで道沿いに宿屋さんが立ち並んでいれば、ほぼ宿場町の様相ですね。
かつて村上城在りし日には城下町として栄えた一帯でもあるのが現在の町屋通り周辺ですが、村上城は”塩引き鮭”を村上の文化に育て上げた越後国村上藩の居城です。現在は町屋通りの南東方向に跡地が残されていて、ごく普通の成人男性で登頂までに20分程度かかるという、ちょっとしたハイキングコースになっているようです。
バスの進行方向にまっすぐ進んでいった先には”黒塀通り”と呼ばれる安善小路も通されているなど、諸々合わせて考えると村上観光の中心地のような一帯だと捉えることもできるのですが、惜しむらくは”イベントが無い平日の夕方等だと、お店が閉まってしまう時間も早くなる”ということでした。
参考:村上市観光協会公式サイト “越後村上 町屋通り“、 “黒塀通り(安善小路)“、村上市公式サイト “国指定史跡 村上城跡“、”村上城下の門跡“
町屋通りと、黒塀の商家
バス停すぐ傍にあった、お茶屋さんの”越後岩船家”(公式サイト)。
お茶屋さんだということは後から知ったのですが、それを知った時に「開いていて欲しかった」と思ったお店の一つです。
笹団子、ちまき、お餅等々、小腹を満たせる美味しそうなもののオンパレードだったんですよね。
ですが、ということで、平日15時30分過ぎ、この時間には町屋通りのほぼ全てのお店が閉まっていました。間に”コロナ禍”を挟んだことも理由になっているのか、そのあたりは定かではありませんが、今回の18きっぷ旅では、どこも地方の夕方が随分早くなったな、という印象を受けました。
少し歩いて、”村上千年鮭 きっかわ”(公式サイト)。新潟と”鮭”の縁は、さかのぼってみると古代以来のものとなるようですが、この村上の地で1000年かけてこの味にたどり着きましたという、そんな鮭を食べさせてくれるお店のようです。
やはり、「開いていて欲しかった」と思えたお店の一軒ですね。
店構えも風格を感じさせるもので、赤い郵便ポストもいいアクセントになっています。
その向かいには、”茶館きっかわ 嘉門亭”(公式サイト)。
村上ではお茶も名産品となっているのですが、国内の商業的なお茶の生産地の中で北端に位置していることが、”村上茶”のセールスポイントの一つとなっています(参考:村上市観光協会公式サイト “北限の村上茶“)。
右側には塩引き鮭のお店である”うおや”(公式サイト)、駐車場のようなスペースを挟んで左側には、”大町文庫”(公式サイト)と銘打たれた看板が掲げられています。
“うおや”直営店であるお寿司屋さんの”海鮮一鰭“(公式サイト)と一帯となった文庫=図書スペースが用意されているのですが、旧制中学をルーツとする伝統校・新潟県立村上高校に縁を持つ、中々アカデミックな蔵書が売りになっているようです。
中には”黒塀”を持たない、それでいてレトロを感じさせるオシャレなお店も混じっていますが、
やはり主に目立つのは黒塗りか、それともストレートに古風を感じさせる大きい屋敷風の家屋だということで、お茶屋さんの”益仙茶舗“、隣にある”日本一小さな美術館”こと旅籠門(新潟県公式サイト “日本一小さな美術館?旅籠門“)、
雑貨屋さんの立派な建物があって、
かつては宿屋であり、その昔に”奥の細道”道中の松尾芭蕉が宿泊したという”千年鮭きっかわ 井筒屋”(公式サイト、村上市観光協会公式サイト)のある角へと続きます。
今写真で振り返ってみると必ずしもそうは見えない気がしなくもないのですが、村上にて街歩きをした時には”唯一開いていたお店”のように見えた、村上名物・鮭料理のお店でした。
お店の横に周ってみると、松尾芭蕉が奥の細道行脚の際に宿泊した地である旨の表記があって、
付近は大町から小町に代わっていることを伝えてくれます。”小町”の由来は、大町に並ぶ古い町であることに由来しているようです。
あちこち見ながらゆっくり歩いてきたので時間的にはかなりギリギリ、それでも食べようかどうしようかかなり悩んだのですが、確か駅にはお土産屋さんぽいお店があったはず、こういうお店で食べる時はそれなりに時間の保証がある時にしたい、ということで泣く泣く断念。
最後の最後に(営業していそうだと思えたお店に)たどり着けたあたり、それはそれで運もなかったのかもしれません。
ボチボチタイムアップとなる時間が近づいて来たということで、ここで一旦、村上駅へ戻ることにしました。