スポンサーリンク

【港町の日常】ほんのちょっとだけ懐かしい本牧エリア

三渓園と本牧エリア

この記事を読むのに必要な時間は約 2 分22秒です。

【港町の日常】ほんのちょっとだけ懐かしい本牧エリア

旧マイカル本牧・本牧山頂公園エリア(2005年=平成17年)

旧マイカル本牧5番街

正面に位置する建物の右側には”コナミスポーツクラブ”(以下、コナミ)の看板がありますが、在りし日の、というよりは最末期のマイカル本牧5番街、今のベイタウン本牧5番街(公式サイト)の前身(?)にあたる商業施設です。

ちなみにこの写真は2005年=平成17年のものです。

この写真の翌年にコナミが閉店になって”5番街全滅”となった、そもそもこの頃5番街に残っていたテナントは既にコナミくらいだった(他店舗はほぼ閉店済み)、というような記憶があります。

元々マイカル本牧5番街のスポーツクラブがコナミになる前は、後のコナミスペース(5番街の五階と六階)にコナミとは別のスポーツクラブが入居していたようですが、コナミ閉店・マイカル閉館後跡地にベイタウンが開業してからは、旧コナミの居抜き物件にフィットネスクラブが入れ替わり立ち代わりという感じで入居しつつ、今に至っています。

この写真は、”バブル在りし日”の姿が本牧界隈から完全に消えようとしていたころのマイカルの様子なのですが、当時はスポーツクラブ内部のアットホーム感に魅力を感じる形で、道中や周辺風景の寂れた感じはさほど気になりませんでした。

人気のまるでなくなったかのようなマイカル5番街に対して、まんま”放課後の部活”感覚の目的地としてむしろ好感をもっていた記憶すらあるのですが、今改めて客観目線で外部のビジュアルを振り返ってみると、このころって既に廃墟の様相を呈していますね 笑。

色々な噂が出ては消え、といったことを繰り返しつつ今現在やや持ち直しているようにも見えることを考慮に入れれば、00年代~10年代にかけての時期って、本牧原界隈が一番寂しかった頃かもしれません。

本牧地区が長らくの接収期間を経て日本側に返還されたのが”円安ドル高最盛期”の1982年(昭和57年)、戦後経済の大きな転換点となったプラザ合意の1985年(昭和60年)を経て、マイカル本牧の開業が”バブル経済絶頂期”の1989年(平成元年)4月、その後色々あってマイカル本牧が完全消滅したのが3.11直前の2011年(平成23年)2月だったことを思うと、一帯は横浜市内でも有数の”失われた20年”象徴エリアであるともいえそうです。

因果なことに、その盛衰が、日本社会の盛衰や大きな節目に被っているんですよね。

マイカル裏手は今も昔も立体駐車場で、

そのさらに裏手にあるのが、1998年(平成10年)に開園した本牧山頂公園(公式サイト)です。

98年といえば、約30年間の平成史の中でも、横浜が有数の盛り上がり方をした年の一つですね。

 

本牧山頂公園

こちらはどこか、相変わらずといった感じです。

開発が進む本牧の町の中にあって、

今も緑が多く残されています。

追伸として、

つい先日、ポケモンGOのフタチマル君とウォーキングしてきた山頂公園、山手駅方面側の風景です。

 

アクセス

ベイタウン本牧5番街(旧マイカル本牧5番街)

 

本牧山頂公園

タイトルとURLをコピーしました