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【横浜山手の西洋館】エリスマン邸(山手本通り沿い、元町公園内)

山手の西洋館

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【横浜山手の西洋館】エリスマン邸(山手本通り沿い、元町公園内)

about エリスマン邸

エリスマン邸(山手西洋館公式サイト)は、元町公園内、山手本通り沿いにある西洋館です。元々の主の名が、スイス系商社に勤務する商社マン、フリッツ・エリスマンさんだったことから、現在地への移築・復元にあたってその名が付きました。

エリスマン邸の現在地は元町公園内、山手町の中央付近ですが、元々は山手町の東部に位置する127番地(坂道だと、聖坂ワシン坂方面)に建てられていました。

平成に入ってほどなく(1990年=平成2年)、元の位置とは異なる現在地に移築・復元される運びとなるのですが、その際には「まさに取り壊されようとしている西洋館が、実は貴重な建物であった」(”近代建築の父”といわれるチェコ人建築家、アントニン・レーモンドによる設計だった)ということが発覚し、解体を目の前にして一転、移築・復元されることになったという顛末があるようです。

“旧エリスマン邸”時代の邸宅では、エリスマンさんは日本人の奥さんと共に暮らしていたようで、奥さんはかつてのエリスマン邸の和館部分に住んでいたようですが、現在のエリスマン邸には和館部分は存在しません。これは、和館部分は取り壊し中止に間に合わず既に取り壊されてしまっていた、その上設計図も存在しないので復元も不可能だった、ということに理由があるようです。

仮にエリスマン邸の和館部分が残されていたとするなら、その部分は結構立派なものだったようなので、今現在のエリスマン邸が持つ雰囲気とはまた違った雰囲気を持つ建物がそこにあったということになりそうです。

その場合、山手本通り沿い・元町公園エリアのありかたにしても然りで、エリスマン邸を中心とした一帯が現在とはまた違った雰囲気を醸していたであろうことが考えられますが、”現存する西洋館には元々あったはずの和館部分が存在しない、洋館部分だけが残されている”というあたり、同じ山手地区にあるイタリア山庭園の”外交官の家“を思わせるような顛末ですね。

余談ですが、エリスマンさんが勤務していたスイス系の商社とは、シーベル・ブレンワルド商会(後にシーベルベグナー株式会社へ社名変更し、現社名はDKSHジャパン-公式サイト-。以下”シーベル社”)です。

シーベル社は開港期の横浜に縁を持つ商社で、日本国内での起点は幕末の1865年(慶応元年)、横浜で生糸貿易を始めたことにあるのですが、やがて日本の生糸貿易(生糸の輸出)で大きな役割を果たしつつ、時計など精密機械の輸入を促進し、日本国内においては横浜・銀座にガス灯を設置するにあたってのガスを供給するプラント設置に協力するなど、日本社会に根付いた活動を進めていた会社だったようです。

(参考:エリスマン邸公式サイト、神奈川新聞社『横濱』vol.71 2021年新春号、令和3年1月15日、横浜開港資料館公式サイト生糸貿易の発展とスイス系商社“、DKSH公式サイト “日本におけるDKSHについて“)

 

関連イベント(2019~2022年の一部イベント)

館内ガイド

現在は、西洋館の館内ガイド(西洋館公式サイト “館内ガイドのご案内“)が復活しています。エリスマン邸を含む元町公園エリアに位置する西洋館(ベーリックホール、山手234番館)の館内ガイドは、毎月第3木曜日、午前・午後の二回行われています(エリスマン邸は11:00~14:30~の二回です)。

 

過去イベント

エリスマン邸のハロウィン(2019年)

横浜山手芸術祭ユースギャラリー・フェリス女学院展示(2022年)

 

アクセス

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