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【群馬/新潟青春18きっぷ旅:初日その9】アプト式電車と特急そよかぜ
“アプト式”と特急そよかぜ
“アプト式”の線路
碓氷峠鉄道文化むら(公式サイト)内、周遊列車の高架をくぐってすぐのところには、遊歩道の名前に付された”アプト式”の線路が残されています。
この方式を採用したからこそ鉄道が碓氷峠を超えることが出来たのだ、というスグレモノ機能のアプト式ですが、かなりいかつい歯車がかみ合わせてあるのが説明板の記載からわかります。
189系電車-特急そよかぜ-と旧国鉄時代の特急
アプト式の線路の先に停車しているのは、旧国鉄の特急色、肌色(昨今はポリコレ的な忖度が働くことによって、”うすだいだい色”などとも呼ばれているようですが)に赤のラインの入った車体が特徴的な、特急そよかぜです。
形式称号(=型番)は189系、JRの前身の国鉄時代、”碓氷峠超え”のために開発された電車ですね。
かつてということでは、”そよかぜ”のほか、”あさま”や”白山”なども旧碓氷線区間を走ったようです(参考:時刻表置き場 “1975/04 特急あさま・白山・そよかぜ 【上野-長野-金沢】“)が、こと”この色の特急電車”ということであれば、かつて昭和の時代にはこのような電車が日本中で走っていました。
いざ近寄ってみると、引退して久しいということもあり、さすがに外装は経年分の劣化を感じさせるものとなっているのですが、傷みながらも大切に保存されているというあたりからは、”儚くも眩しい思い出の結晶”を連想させられます。
一つには、この路線の運行にかかわった人たちの毎日と思い出、さらには在りし日の沿線風景が、ここに凝縮されている感じですね。
引退車両と共にある思い出はまた、”電車の向こう側にある思い出”も引っ張って来てくれるのが常だと思いますが、今は朽ちてしまった車両の”かつて”を思うと、薄汚れた塗装のひび割れもどこか甘美に伝わります。
車内へ
車両には、もちろん、実際に乗ってみることも出来ます。
劣化した外装には経過年数分の現実感が伴いますが、視線を車内に向けると、かつてそこにあったはずの”日常と非日常の境目”的な空間を感じさせる既視感があって、
「そういえば、確かにこんな感じだったかもしれないな」という、客席へと続きます。
特急電車の車内の匂いは、当時と全く同じものでした。窓の開閉が出来ない車両だと、匂いって案外何時までも残ってしまうものなのかもしれません。よくそんなこと覚えていたものだなと改めて思いもしましたが、逆に、そういう記憶って案外残っているものなんだな、なんてことも感じました。
今となってはどこかオーソドックスなタイプの客車を連想させますが、時計の針を戻してみると、それはかつての最先端の客車でもありました。旧・碓氷線での現役生活を終えた客車は、”かつて”を後世に伝えるため、文化むらを終の棲家としています。
車掌車
すぐ傍にはさらに古い車両が展示されていますが、これは貨物列車の車掌車です。
車掌車だからということなのか(?)、車内に入ることは出来ないようです。