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【冬の東北・信越青春18きっぷ旅/戊辰戦争の跡2】御三階(阿弥陀寺内)

東北/信越青春18きっぷ旅

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【冬の東北・信越青春18きっぷ旅/戊辰戦争の跡2】御三階(阿弥陀寺内)

鶴ヶ城・本丸内随一の高層建築

JR只見線・七日町駅すぐ傍に位置する阿弥陀寺会津若松七日町通り阿弥陀寺“)内には、かつて鶴ヶ城本丸内唯一の高層建築であった”御三階“が移設されています。

戊辰戦争後の1870年(明治3年)、あるいは1871年(明治4年)、かつての場所からこの地に移され、以降阿弥陀寺の本堂として長らく機能してきたようですが、元々の移築理由にも「戊辰戦争の戦禍で本堂が焼失した」ことがありました。

“御三階”とあるように、建物(左側の建物がそうです)の外観では三階建ての建築物なのですが、実は内部を見ると二階と三階の間に天井の低い部屋が一つ作られているという四層の構造になっている上、三階へ上る階段は梯子を上から引き上げることが出来る仕組みになっていたようで、密議所として利用されていたことが推測されるようです。

旧中山道沿い・奈良井宿の旧家にも”天井が可動式になっている”というタイプの二階の部屋がありましたが(参考:旧中山道・奈良井宿 -元櫛問屋 中村邸(国指定重要文化財)-)、昔の建築物にはしばしば心くすぐられる作りのものが多いのも、史跡を巡る時のお楽しみの一つだったりします。

“御三階”の内部は通常時は非公開のようで、一階部分のみ特別公開されることもあるようですが、しょうがないといえばしょうがない、残念といえばやや残念な部分でもありますね。

阿弥陀寺の御三階については、将来的には鶴ヶ城の本丸跡地への移築も検討されているようです。

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