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吉田橋関門跡(馬車道商店街、JR関内駅傍にある旧横浜道の関門)
吉田橋関門跡
開国・開港当初は、来日した外国人を狙った殺傷事件が発生するような”攘夷”を是とする世相があったため、外国人居留民の往来がある地区では取り締まり強化が必須となります。
開港地・横浜においてもそのご多分に漏れず、最寄りの宿場町だった神奈川宿、保土ヶ谷宿などでの警戒が強化された他、安政6年(1859年)、吉田橋の傍にも関門が設置されました。
幕末(横浜開港後)に整備された、旧東海道と開港場をつなぐ道である”しんみち”こと横浜道はこの付近まで伸びていたとされていますが(現在の横浜駅西口方面と繋がれていました)、以降、この吉田橋関門を基準として、ここより港側が関内地区、その外が関外地区とされます。
JR根岸線・関内駅の駅名をはじめ、現在も地域一帯を指す通称名として残された”関内“とは対照的に、その役割を終えたと判断された吉田橋関門は、明治4年(1872年)に廃止されました。
現在、”鉄の橋“をイメージして作られた吉田橋の下には首都高速横羽線が走っていますが、
橋を渡りきるとすぐ目の前は、馬車道商店街(公式サイト)から道なりにつながっている伊勢佐木モール(公式サイト)です。