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【冬の東北・信越青春18きっぷ旅/その10】早朝の鶴ヶ城、二の丸エリア
早朝の鶴ヶ城
前日の会津若松到着後、早速という形で訪問した鶴ヶ城(公式サイト)ではあったのですが、青春18きっぷ旅の初日だったということもあって、それでも取れた時間が体感で二時間強程度でした。
さすがにそれでは物足りないということで、この日も朝一でホテルをチェックアウトした後、まずは前日同様まちなか周遊バス(会津バス公式サイト “会津とあそぼう!!まちなか周遊バス“)にて、鶴ヶ城付近まで。
北出丸側から入った前日とは違って、この日は福島県立博物館側の二の丸方面から入ってみました。
前日は北から入った、今回は東から入ってみる、という形ですね。
まずは福島県立博物館周辺付近に固まっている史跡の数々を見てみたいという希望があったからなのですが(秋月悌次郎詩碑、八重之像、司馬遼太郎文学碑等々)、二の丸付近の史跡をいくつか見た後に「もう一度お城の方へ」ということで、二の丸エリアから内堀方向へ。
八重之像や司馬遼太郎文学碑を背にしてまっすぐ進むと、すぐ横はお濠になっていて、
もう少し歩くとお濠の上に架かる廊下橋が見えてくる(廊下橋は、敵の侵入など、非常時には落とすことが出来たという橋ですね)ほか、
石垣の上に微かに天守閣を望むことが出来るという一帯へ進むことが出来ます。
鶴ヶ城の旧本丸方面へと向かう道沿いでは”八重の桜”ヒロインの新島八重さんが推され、
会津戊辰戦争終結後、鶴ヶ城を立ち去るにあたって詠んだといわれる和歌”明日の夜は何国の誰かながむらん、なれし御城に残す月影”の解説もなされていますが、かつて戦争で疲弊したお城を後にするにあたって月夜の風景と共に詠まれた歌を、まさに今この時を照らす朝日の中、”新生・鶴ヶ城”傍にて味わうひと時というのも、旅先での爽やかな一日の始まりに位置する時間として、中々オツなものです。
当時の感覚からすれば、鶴ヶ城の未来にそういう時間が訪れることになる日が来るとは想像もつかなかったことかと思いますが、今やそれが会津若松にとっての日常風景になっているのだということで、会津若松市の歴史においてはまさに”隔世の感を禁じ得ない”といった部分にあたるところではないでしょうか。
観光客目線でも、このあたりの味わいは、まさに史跡巡りの肝にあたる部分ですからね。
このまま旧本丸内まで歩いた後で三の丸エリアまで・・・、というのが当初の理想ではあったのですが、靴擦れの悪化や元々のスケジュールが押していたこと等々から、残念ながら今回は二の丸エリアの早朝散歩を最後に、鶴ヶ城での時間はタイムアップとなってしまいました。
また次の機会の訪問が、今から楽しみです。