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【横浜観光FAQ/グルメ・さんぽ】関帝廟通り(地久門・天長門間、道沿いに横浜関帝廟)

横浜中華街

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【横浜観光FAQ/グルメ・さんぽ】関帝廟通り(地久門・天長門間、道沿いに横浜関帝廟)

about 関帝廟通り

ロケーション

関帝廟通りは、横浜中華街公式サイト)中心部で中華街大通りに並行するように通された、比較的大きな通りです。

関帝廟通り側から見ると、長安道との交差点上に建てられた牌楼の扁額には”地久門”とあります。

中華街大通りとの間が市場通りや香港路、中山路などの細い道で繋がれている他、通りの両端では中心部の西端に通された長安道、東端に通された南門シルクロードにそれぞれ直交していて、長安道との交差点には地久門、南門シルクロードとの交差点には天長門が、それぞれ作られています。

通りの名の由来は、道沿いに関帝廟横浜関帝廟公式サイト)があることに由来しています。

横浜中華学院と関帝廟

横浜中華学院

関帝廟通りの地久門付近の通り沿いには、中華民国=台湾系の外国人学校である、横浜中華学院(公式サイト)があります。

JR根岸線石川町駅・中華街口付近には、中華人民共和国系の外国人学校である横浜山手中華学校(公式サイト)がありますが、新・旧の中国が二つ(中国共産党の支配する中華人民共和国と、中華民国の流れを受けた台湾の二つ)に分かれているという点について、戦後昭和の中華街も、残念ながら第二次世界大戦後の中国大陸の歴史(特に、第二次国共内戦ぼっ発以降の歴史)のあおりを受けることとなりました(参考:山下清海「横浜中華街」筑摩選書、2021.12.15)。

日本にとっての終戦期はまた、中・台の人々にとっての開戦期でもあったということで、かつての深刻な対立の後に協調に向かう流れが作られている今も、学校についてはそれぞれ住み分けられる形となっているようですが、込み入った戦後史についてはともかく、こと”関帝廟通り沿いの横浜中華学院周りの風景”ということでは、2020年に新校舎が落成したことによって一変しました。

“旧校舎”時代は、創立以来、現在の関帝廟通り沿いに校舎が建てられていたところ、

現在は通り沿いに校庭が、その奥に校舎が作られる形になっていて、その様子を関帝廟通り沿いから望むことが出来ます。

地久門のすぐ横では、関帝廟通り沿い(右側)、長安道沿い(左側)、双方の壁面にイラストが描かれていますが、

壁面を彩るイラストは関帝廟通りに入ってからも続き(漢字で書かれているのは、いわゆる”諸子百家しょしひゃっか“の有名な言葉です。諸子百家について、参考:about 孔子)、

イラストの並びでは、赤レンガの壁の中に、創立以来125年となる学校の歴史が展示されています。

その昔より”通り沿いに校舎があった”ということもわかるのですが、

学校の掲示板隣、関帝廟通り沿いに”中華学院”のプロモーションが続いています。

旧校舎時代は、なるほどここに学校があると言われればそうとしか見えないような建物があったようには見えたのですが、今や新校舎となって、学校自体が観光スポットの一角を担うような雰囲気も醸しています。

横浜関帝廟

通りの名前の由来となっている横浜関帝廟公式サイト)は、長安道側から関帝廟通りへ入って割とすぐのところ、中山路との交差点の一角に位置しています。

商人の守り神だったという古代中国(後漢末期、三国時代)の武将・関羽存命時の逸話が引き継がれる形で、華僑たちによって主に商売繁盛が祈念されている施設です。

現在の関帝廟は、1990年(平成2年)に再建された四代目のものにあたります。

現在の関帝廟通りは、四代目関帝廟が現在地に建立されると同時に、”横浜中華街内第二のメインストリート”としての歩みを始めることとなるのですが、このことは、中華街の人たちにとって、関帝廟がいかに大切に思われているかということを示すエピソードの一つですね。

参考:横浜関帝廟(関帝廟通り沿い、地久門傍)

通り沿いの風景

第二のメインストリートとして

地久門傍、横浜中華学院や関帝廟の向かいでは、北京料理の華都かと飯店(公式サイト)、ショッピングモールの横濱バザール(公式サイト公式Instagram)、上海料理の四五六菜館(公式サイト)等々の他、雑貨屋さんや八百屋さん、カフェなどが早速軒を並べていますが、やがて中山路を超えるとさらに賑わいを見せる一帯へと入っていきます。

赤い電柱

関帝廟通りでは、通り沿いに建てられた赤い電柱も目を引きますが、

通りの名前の他、三国志に因んだイラストなどが描かれています。

「日本国新聞発祥の地」記念碑

関帝廟通り沿いの歩道には、「日本国新聞発祥の地」記念碑が置かれています。横浜中華学院の敷地横付近です。

山下町公園、”日本のフットボール発祥の地”記念碑

南門シルクロードとの交差点に作られた天長門付近では、かつての清国や中華民国の総領事館跡地に、山下町公園が作られています。

山下町公園自体は、中華街で歩き疲れた場合に一休みできる程度の落ち着いた小さな公園なのですが、公園に入ってみると、南門シルクロード沿いにある媽祖廟の裏手に位置していることが分かります(ただし、残念ながら山下町公園側から媽祖廟に入ることは出来ず、門も関係者専用となっています)。

公園内から関帝廟通り方面を振り返ると、そこそこ落ち着けるスペースがあることが分かりますが、

山下町公園といえばこのほか、入り口傍に「日本のフットボール発祥の地」碑が置かれていることでもお馴染みの公園です。

天長門

横浜大世界(公式サイト)の手前には、天長門が作られています。

門の外に通されているのは南門シルクロードで、右手は中華街の南門=朱雀門元町商店街)方面、左手は中華街の東門=朝陽門中華街大通り)方面です。

アクセス

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