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“かつての元町”エリア
水屋敷通りから、元町公園へ
元町商店街(公式サイト)側から水屋敷通りを通って元町公園(公式サイト)に入った場合の、公園入り口付近の様子です。”湧き水”や”ジェラール”エリアの中心部でもありますね。
公園に入ると、入口の正面に”せせらぎ広場”が用意されている他、
入口左側のスペースには、噴水を中心としたちょっとした広場が用意されています。
入口の右側、遊具が置かれたスペースにある石碑は、かつての元町が”モノづくりの街”としても機能していたことを伝え残しているという、”塗装業発祥の地”であることを記念した碑です。
参考:元町商店街の誕生
せせらぎ広場中央に位置している溝は、かつての湧き水の経路をイメージして作られたもので、この溝の下には今も”ジェラールの水屋敷”に向かう水が流れているようです。
総じて、元町公園の”元町商店街側エリア”は、公園といえば確かに公園なのですが、所々に赤レンガが用いられることによって”かつての元町”を思わせる雰囲気が演出されているという、”タイムスリップ”感が強めの空間となっています。
“ジェラール”であり、”給水業”であり、”レンガ・瓦製造”であるという、湧き水を利用した地場産業が盛んだったかつてを感じさせる空間がコンセプトとされ、整えられている形ですね。
ジェラールのレンガ工場と元町公園
かつてのジェラールの工場の中心地は、現在、元町公園のプール事務所となっていますが、事務所が入居している管理棟の一部では、現在も”ジェラールの瓦”が用いられているようです。
事務所のすぐ裏手に元町公園プール(公式サイト)が、プールの向こう側には元町公園弓道場(公式サイト)が、それぞれ用意されています。
遠路はるばる日本へ渡航してきた居留民たちの生活が安定するにつれ、日常生活に必要とされるものもより本国での実生活に準拠したものとなって行きますが、その際に必要とされたものの一つに、洋式家屋を建築する際の西洋瓦・レンガがありました。
時あたかも、”御一新”後の明治期の話しですね。
当時の日本でそれを求めるためには舶来品に頼らざるを得なかったため、日本国内での需要に対して供給量が圧倒的に不足していた、そこでジェラールさんが”日本産の西洋瓦・レンガ”を国内で生産することを思いつき、実際に行動に移していったというのが”ジェラールの瓦・レンガ”開始動機だったようです。
結果、”現在の元町公園エリア”に作られたジェラールの西洋瓦・レンガ工場は、日本で最初の本格的なレンガ工場となりました。
その後関東大震災からの復興期を境として、一帯は”元町公園”として整備されていくことになるのですが、公園内はこの付近から山手本通りに向かって、緑の多い一帯に入っていきます。
“元町・山手”と元町公園
写真中央に位置する水路の延長上の道が水屋敷通りで、水屋敷通りは元町商店街と直交しています。
ちなみに水屋敷通りと元町商店街の交差点は、ほぼ、元町商店街の入り口付近のところ(みなとみらい線・元町中華街駅の元町口傍)に位置しています。
周辺の坂道との位置関係では、入口から見て右手方向に額坂が、左手方向に貝殻坂(元町公園と外国人墓地の間に通された坂道ですね)が、それぞれ元町公園に隣接する形で通されています(写真は、額坂方向です)。