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【国内小旅行/秋の妙高安曇野ドライブ旅 その7】秋の善光寺詣で
妙高発後、所々で寄り道をしながら、朝9時30分過ぎ、善光寺着。
この地図で中央付近にある赤い四角が現在地、そこから右側に境内が広がっています。
平日だったからなのか、それともコロナ禍の影響なのか。危惧していたパーキングですが、割とすんなりいい場所に停めることが出来ました。
各市町村に一か所定めることが規定されている道路元標、善光寺のすぐ傍にあるのを見つけました。
about 善光寺
正確には不明ながら、善光寺の開山はおよそ8世紀ごろにさかのぼることが出来るらしく、飛鳥時代の人物である本田善光さんが開祖であるとされています。
というわけで善光寺の「善光」は、本田善光さんの「善光」に由緒があります。
本尊は「一光三尊(いっこうさんぞん)阿弥陀如来像」と呼ばれる阿弥陀如来像ですが、この像は分身仏が公開されることはあっても、本尊そのものは一切公開されることがない、善行寺が出来た当初から今日に至るまで、絶対秘仏の扱いをされているようです。
ですが一般的な善光寺詣での目的の一つは、善光寺を参拝することによって、この本尊との縁を持つことにもあります。
お寺としての善光寺の特徴的な部分としては、特定宗派に属さず、あらゆる宗派を受け入れているという点にありますが、現在は天台宗や浄土宗の僧侶が共同で本堂を守っているとのことです。
この事情は、境内に入ってすぐ始まる、院や坊の並びに現れています。
大本願/参道/坊/院
本堂へとまっすぐ続く参道(境内に入ってすぐの道)及び仲見世通り(参道から仁王門の内側に続く道)沿いには、多くの院・坊が建てられています。
「院」=お寺の境内にある建物、「坊」=お寺の境内にあるお寺、と言う違いがあるようです。
地図を見ると、境内に入って最初に参道沿いに並んでいるのが坊、参道の通り一本裏手や、仁王門の内側に多くあるのが院という、ざっくりした違いがあるのがわかります。
この部分を歩いただけで、善行寺が随分珍しいというか、特徴的なお寺なんだなと言うことが伝わってくるのですが、お寺の境内に本堂とは別のお寺があり、さらに風情のある建物が軒を並べているような境内って、やはりかなり珍しいですよね。
参道に敷かれた石畳にも、
興味深いエピソードが残されているようです。
参道横、坊が軒を並べている反対側の敷地には、大本願(本堂とは別のお寺)があります。
お寺の中にお寺が幾つもあるというこの不思議な感覚は、この辺りから頭で理解でき始めます。「それがどういうことなのか」ではなく「そういうことになっているんだな」といった感じですか。
大本願・善光寺本堂御朱印
ともあれ、早くもその機会が訪れたということで、早速、大本願で御朱印をいただきました。
このほか、本堂でも季節限定の御朱印をいただいたのですが、
今回の善光寺詣ででは、このほかに全部で8枚の御朱印を頂きました。
善光寺の御朱印、まだほかにもあるようですが、全てコンプリートしようと思ったら結構な労力が必要とされそうです。
その意味では、労力を要すると同時に、お財布に優しいお寺でもないかもしれません。
「お寺の中にお寺があるとはこういうことか」などと思わぬところから思わされたりもしたのですが、そもそも「季節限定」御朱印がある時点で、それをコンプリートしようと思えば少なくとも4回の善光寺詣でを必要とするわけですからね。
仁王門から仲見世通りへ
大本願を出て、仁王門へ。本堂はまだまだ先にあります。
門をくぐると仲見世通りです。
え? という感じで二度見してしまったスタバ。善光寺の仲見世に、自然に溶け込んでいます。
その昔、源頼朝が乗っていた馬の蹄が石橋の穴にはまってしまったため、ここから先は頼朝が歩いて渡ったといわれている「駒返り橋」。
傍には現代版の高札が掲げられています。雰囲気ありますね。
山門のすぐ左側には大勧進(善光寺の境内にあるお寺です)があって、ここでも御朱印がいただけます。
お寺の中とはいえ、大本願や数々の坊同様、善光寺の本堂とは別のお寺があるという形になっているので、ここでも御朱印がもらえるわけです。
山門の手前には、濡れ仏。
放火の罪によって鈴ヶ森刑場にて火刑(火あぶり)に処されてしまったという八百屋太郎兵衛の娘、17歳のお七の霊を慰めるために造られたとの言い伝えもあるようです。
ちなみに、いわゆる「八百屋お七」の話しについては諸説あるようですが、一説によると、お七は悪い男にそそのかされてしまっただけだった、実際にはお七の放火は大火につながらずボヤ程度で済んだのだと判断されてもいるようです。
現住建造物等放火罪はじめ、放火関係の罪は現在でも重罪(放火の最高刑は死刑)ではあるのですが、お七自身の言動やその周辺事情に関しては、井原西鶴の浮世草子である『好色五人女』によって、後から脚色されてしまった部分が多々あったのかもしれません。
とはいえ、箱根・お玉が池のお玉にしてもそうですが、武家政権の世の中って、時になんともいいようがなく後味の悪いエピソードを後世に残すことがあります。若い女の子に対する非情な断罪に限らず、例えば義民・佐倉(木内)惣五郎、磔茂左衛門こと杉木茂左衛門といった、義民に列せられる方々への処遇ですよね。
どこか融通の利かない倫理・道徳・社会通念と共にある、前近代(=近世まで)の法とその運用が吉と出るか凶と出るか、みたいな話ですか。
ならあなたはどうするべきだったと考えるのかと問われれば、そこは返事に窮してしまうところでもあるのですが、やはり時代が時代なだけに、大岡裁き的な何かをどうしても期待したくなってくるところですね。
翻って「濡れ地蔵」ですが、そうはいってもやはり当時の人にしても似たような気持ちになった部分が多々あったからこそ、そのような伝承(八百屋お七の霊を慰めるため、という言い伝え)が残されたのかもしれません。
山門
よく見ると山門の二階部分にネットが張ってあるのが分かりますが、山門の中には入ることが出来ます(要・拝観料)。
内部は撮影禁止なのが残念なところなのですが、善光寺の仲見世や参道の向こうに長野の街が見渡せる景色は中々の絶景です。二階への階段が急だったり、外の廊下が案外怖かったりもするのですが、一見の価値は十分あると思います。
山門の下では、全国のお寺のうち、善光寺とかかわりが深いお寺が紹介されていますが、
神奈川県にも結構ある他、全国各地にかなりの数のお寺があることが分かります。
山門を入った、本堂のすぐ傍には、経蔵。
鎌倉の長谷寺でも見たことがありますが、中に経典が入っていて、その経典が入った経蔵を回すことによって経典を会得したのと同じ効果が期待できる、という御利益があるとされます。
「これ、回してみて?」と、中に入ると指示を受けるのですが、簡単に回せるだろうと思って軽く押していると、重くて中々回らないんですよ。そこで本気になって「ぐっ!」と行くと、はじめてちょっとずつ動いてくれるという。
なんといっても経蔵の重さは5トン、うち経典が1.2トンあるそうです。それは簡単には回りませんよね。
善光寺・本堂
本堂に入る前に、お線香を香炉へ。
そして、善光寺の本堂へ。
この後、拝観料を払って「お戒壇めぐり」へ。
本堂の地下に造られた真っ暗な回廊の中を、壁に手を当てながらゆっくり歩いていく、そうすると、しばらく歩いたところの壁に「極楽のお錠前」を探り当てることが出来るのですが(その部分だけ、壁の一部がへこんでいるように感じます)、ここの真上に「絶対秘仏」の善光寺の御本尊が置かれているとのことです。
ここに触れることによって御本尊との縁が結ばれ、極楽往生が約束されるといわれています。
回廊に入る前に「明かりを付けずに、壁に手を触れたままゆっくり歩いてください」というような注意を受けてから回廊を回るのですが、本当に真っ暗で何も見えないんですよ。
何も見えない中で、壁に手を触れながら歩いていくと、最後にその「御本尊との縁」を探り当てることが出来る、その直後に光が差し込んでくるというのが「お戒壇巡り」です。
結構インパクトがあって、「これで自分も、善光寺の御本尊との間に縁が結ばれた!」といったことがじわじわくる感じでした。
お戒壇巡りの後で、本堂側から、山門方面。
結構時間をかけてゆっくり回ったので満足度は高かったのですが、自分が見学した中でも記事で紹介させていただいたのは一部ですし、今回の訪問だけで全部回りきれたかと言うと、丁寧に見れていないところも結構ありました。
聞きしに勝るというか、善光寺詣では本当に盛りだくさんだったという印象が残っています。
(続く)
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