【国内小旅行/秋の妙高安曇野ドライブ旅 その6】信越大橋、関川の関、野尻湖

2020秋 妙高安曇野ドライブ旅

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【国内小旅行/秋の妙高安曇野ドライブ旅 その6】信濃大橋、関川の関、野尻湖

信越大橋

休暇村妙高をチェックアウト後、次の目的地は善光寺。

ということで、妙高から一路長野方面を目指して車をひた走らせることとなったのですが、道中最初に通過することになった大きな橋が信越大橋でした。

全長、なんと902メートル!

とはいえ、信越大橋は最初から目星をつけていたチェックポイントではなく、通りすがりで「これはすごい!」となってしまったポイントでした。橋を渡る前、なんとなく橋の大きさが察せられた時点で「一度車を停めて橋の様子を見てみようか」となったのですが、そういうケースの「あるある」で、一瞬のためらいから車はそのまま橋の上へ。

特に後続車がいる場合にやってしまいがちなことですが、やはり安全第一ですからね。

その後、橋を渡りきったところにも、パーキングスペースが用意されていました。

新潟・長野両県で今回通過したエリアには、「ここだ!」という場所に無料のパーキングスペースが多くあったのがとても好印象だったのですが、橋を渡りきったところに用意されていたパーキングに立てられていた、冬季の積雪量を思わせるポールも雪国ならではです。

橋のすぐ傍には、正面にそびえる妙高山とその周辺の山々についての説明書きも置かれています。

妙高側からだと橋を渡りきってすぐのところ、長野側からだと橋を渡る手前当たりの位置にあたりますが、この位置から望める風景の概観図と共に、

簡単な説明が付されています。

橋の親柱にはナウマン象のレリーフが埋め込まれ、

角をイメージした形に造られていますが、

なぜナウマン象なのかといえば、ここから割と近い距離に、ナウマン象の化石が発掘された野尻湖があるためだろうと思われます。

ここから野尻湖までは車で精々10分程度という距離で、信越大橋の途中からは、住所自体が長野県上水内(かみみのち)郡信濃町「野尻」となっているようです。

 

 

北国(ほっこく)街道・関川(せきがわ)の関/関川宿

中山道と北国街道、国道18号線

橋上を少し歩いてみると、信越大橋の下にも道が通されているのが分かります。

この道は旧・北国街道です。

かつては中山道(日本橋から内陸部経由で京都へ)の脇街道(=中山道から分岐した道)として機能していました。

北国は「きたぐに」ではなく「ほっこく」と読みますが、旧街道=北国街道は、信越大橋上に通された国道18号線と、ある区間では合流し、またある区間では分離しという形で絡み合いながら、最終的には軽井沢(長野県北佐久郡)の追分(おいわけ)宿まで伸びています。

逆方向からだと、追分宿が起点となり、新潟の高田宿(現・新潟県上越市)、直江津港(同)、出雲崎宿(新潟県三島郡出雲崎町)との間が結ばれていたのが、かつての北国街道でした。

現在の国道18号線は、新潟県上越市の海岸近くから野尻湖の横を経由して、最終的には群馬県の高崎市までが結ばれていますが、高崎から軽井沢までの18号線ルートが旧中山道ルート、軽井沢から先の18号線ルート(善光寺や野尻湖を経由し、妙高から上越の海岸へと抜けるルート)がかつての北国街道ルートだという言い方もできるでしょう。

ちなみにかつての軽井沢には、追分宿の他、軽井沢宿、沓掛(くつかけ)宿と計3つの宿場町がありました。軽井沢宿、沓掛宿は、いずれも中山道の宿場町として栄えたところで、それぞれ現在の旧軽井沢銀座、中軽井沢に位置したようです。

もともと古来より交通の要衝として栄えてきた、そこに近代以降外国人が目を付け避暑地として発展させたという軽井沢の歴史は、同じく旧街道(東海道)上にあり、かつ宿場町や関所を持っていた、明治期には外国人が避暑地・別荘地として発展させたという、箱根の歴史にとても良く似ています。

北国街道自体は、その道中に善光寺を含むことからかつては「善光寺街道」などとも呼ばれたようですが、中山道を経由して日本海側と太平洋側を結ぶ街道は、特に近世以降、とても重宝されたようです。

 

関川の関/関川宿

北国街道沿い、信越大橋下にある関川の関は関川宿傍にある関所で、北国街道上、野尻宿の隣の宿場町にあたります。

国道18号線沿いに関川関の広告が出ていたのを見つけて「ぜひ見てみたい」と、寄り道をしてみることにしました。

ここで再び、予期せぬ新潟入りです。

18号沿いの広告を見る分には、18号をそれてすぐのところにあるのかなとは思ったのですが、関川の関までは多少距離があります。

おまけに、駐車場まで行って分かったこととして、施設の開館が9時からだということらしく(この時点で8時30分少し前)、今回は「行くだけは行ってみよう」という程度の訪問にとどまってしまいました。

同じことは野尻湖畔にある野尻湖ナウマンゾウ博物館にも言えたのですが、この日が初めての訪問だった善光寺をゆっくり見たいというつもりでプランを組んでいたので、自分で組んだ予定上のタイムスケジュール的に、割とカツカツだったんです。

後から振り返れば「30分くらい待っても良かったな」とは言えたのですが、それはあくまで結果論だということで、関川の関所、ナウマンゾウ博物館、共にかなり残念でした。

次回の訪問では双方とも、主要な目的地に含めたいところです。

ということで、関所前から。

関所へつなげる形で作られた木造の橋は、関川の関所ありし頃の一の橋が復元された「一の橋」ですが、その横に架けられた鉄製のトラス橋も、現在同じく一の橋と呼ばれているようです。

ちなみにトラス橋とは、日本では横浜の馬車道に初めて作られたという、桁に△の構造を持つ橋の事です。

橋の上からは、「新・一の橋」の向こうに信越大橋や妙高の山々も見えますが、

反対側を見ると、どこか懐かしいと感じさせる風景が望めます。

妙高山の位置や信越大橋の通され方から推し量れる大まかな方向的には、斑尾(まだらお)高原(新潟県)とか、野沢温泉(長野県)方面ですね。

山と山の間を流れる小さな川(関川)に架けられた木造の橋、その先にはかつての関所があるというあたり、タイムスリップ感はかなり強めです。

仮にここで大掛かりな「江戸時代ドッキリ」をやられたとしたら、割と本気で信じてしまいかねない気がします。

道の歴史館前に掲げられているのは江戸時代の高札。

もちろんレプリカでしょうが、日付は元禄八年十一月。五代将軍徳川綱吉の時代、赤穂浪士の討ち入り(元禄十五年)の7年前、ギリギリ17世紀(1695年)の高札ですね。

ついでに、これは翌日以降に向けたちょっとしたフラグなのですが、関川関の傍でこんな看板を見かけました。

この看板を見た時点では「へー、この辺って猿が出るのかー。そういうことなら餌はまずいな!」なんてどこか気軽にこの看板を見ていた記憶があるのですが、「餌をあげないで!」という警告の他「犬を使って猿の食害を防ぐ試みを進めている」という告知が、安曇野界隈でなされているのを見かけました。

後から知ったこととして、「モンキードッグ事業」と銘打たれた自治体肝入りの計画らしいです。

 

 

野尻湖

時間の都合上、初の野尻湖詣では、湖畔から湖を少し眺めるだけの訪問となってしまいました。

多少雲が多めでしたが、野尻湖畔から。

信越大橋からは結構近いところにあります。ナウマンゾウ博物館がすぐ傍にある他、かつての北国街道の野尻宿の跡も、この付近にあるようです。

 

(続く)

 

アクセス

信越大橋

 

関川関所道の歴史館

 

野尻湖

 

横浜出身・在住。現在、主に横浜(みなとみらい線沿線中心)の街歩きガイド記事を書いています。鎌倉・江ノ電沿線街歩きや箱根エリアの他国内小旅行記事をはじめ、その他の話題もボチボチ。サイトへのご意見・ご感想等々は、お手数ですがPCからお願いします。

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