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北国(ほっこく)街道・関川(せきがわ)の関/関川宿

妙高・安曇野ドライブ旅

この記事を読むのに必要な時間は約 4 分3秒です。

北国(ほっこく)街道・関川(せきがわ)の関/関川宿

中山道と北国街道、国道18号線

信越大橋と北国街道

信越大橋の橋上を少し歩いてみると、橋の下にも道が通されているのが分かりますが、この道はかつて旧・中山道の脇街道として機能していた、旧・北国街道です。

“北国”は、”ほっこく”と読みます。

 

旧中山道と旧北国街道、国道18号線

旧中山道は日本橋と京都が内陸部経由で結ばれた大街道(五街道の一つ)ですが、その中山道の脇街道であるとは、中山道から分離する形で伸びた街道であることを意味します(参考:【旧街道と宿場町】街道整備と江戸時代の旅)。

新潟県側から長野県方面へと向かう旧北国街道に沿った道は、信越大橋上に通された国道18号線と、ある区間では合流し、またある区間では分離しという形で絡み合いながら、最終的には軽井沢(長野県北佐久郡)の追分(おいわけ)宿まで伸びています。

追分宿は江戸から数えて20番目にあたる中山道の宿場町ですが、中山道の宿場町であると同時に、北国街道の起点にもなっていました。

さしづめ今の鉄道で例えるのであれば、追分宿はターミナル駅に該当する宿場町ですね。

長野県側から新潟県方面に向かうルートとして北国街道を見た場合、追分宿が起点となって、新潟県上越市の高田宿、直江津港、同じく新潟県の三島郡出雲崎町にある旧出雲崎宿(出雲崎観光協会北国街道出雲崎宿“)との間が結ばれていました。

現在の国道18号線は、新潟県上越市の海岸近くから信越大橋や野尻湖傍を経由して、最終的には群馬県の高崎市までが結ばれていますが、高崎から軽井沢までが旧中山道ルートに、軽井沢から先(善光寺や野尻湖を経由し、妙高から上越の海岸へと抜ける部分)が旧北国街道ルートに、それぞれ該当します。

旧北国街道は、その道中に善光寺を含むことからかつては”善光寺街道”などとも呼ばれたようですが、内陸部に通された中山道から日本海側へ抜ける街道であったことから、冬季の通行では豪雪によって生じる難所を含んでいたとしても、特に近世以降はとても重宝された街道だったようです。

 

北国街道関川関/関川宿と、新旧の”一の橋”

関川の関は、旧北国街道の関川宿傍にある関所です。

関川宿は、同じく旧北国街道上、野尻湖傍に設置された野尻宿の隣の宿場町にあたります。

観光スポットとしての関川の関・関川宿(新潟県観光協会公式サイト北国街道関川関所「道の歴史館」“)は、国道18号線沿いに広告が出ているので、元々知っていたから目当てにして立ち寄ったのだという”ガチ勢”以外の層でも、割と思い付きで立ち寄ることが出来ると思います。

個人的にも、2018年夏のドライブで立ち寄った清津峡公式サイト)同様、元々知っていたわけではなく、道中の広告を見て寄ることにしたスポットでした。

施設の開館は9時からです(~17時まで。営業期間は4月10日~11月30日で、期間中は無休です)。

8時30分少し前についた今回は時間的に押していたということもあって「行くだけは行ってみよう」という程度の訪問にとどまってしまったのが、残念なところではありました。

注意点としては、18号線沿いに出された広告を見る分には、18号線上から関川関・関川宿まではさほど距離があるようには見えないのですが、実際には多少距離があります(あくまで多少離れている程度です)。

直線距離では近いのですが、道が曲がりくねって進む分、余計に時間がかかってしまうんですね。

なので、予定がタイトに詰まった時に手短に道の駅やSA、PAに立ち寄る感覚で立ち寄れるかどうかは、やや微妙かもしれません。

 

一の橋

関所へつなぐ形で作られた木造の橋は、関川の関所ありし頃の一の橋が復元された一の橋ですが、

そのすぐ隣に架けられた鉄製のトラス橋も、現在同じく一の橋と呼ばれているようです。

ちなみにトラス橋とは、日本では横浜の馬車道に初めて作られた鉄(かね)の橋が持っていたという、桁に△の構造を持つ橋の事です。新しい方の一の橋の向こうには信越大橋、さらには薄いもやに包まれた妙高の山々も見えています。

一方、関川宿方面にかけられている一の橋は日本の近世(江戸時代)を思わせる伝統的な木製の橋で、長寿橋とも呼ばれています。

大まかな方向的には、斑尾(まだらお)高原(新潟県)とか、野沢温泉(長野県)方面の風景ですが、橋を渡る前、橋上、渡った後、一歩歩みを進めるごとに、在りし日の宿場町、関所の中に引き込まれていく気分が高まります。

 

関川の関/関川宿

一の橋を渡ると、関川の関と宿です。

山と山の間を流れる小さな川(関川)に架けられた木造の橋(一の橋)の先にかつての関所があるので、タイムスリップ感はかなり強めです。仮にここで大掛かりな”江戸時代ドッキリ”をやられたとしたら割と本気で信じてしまいかねないのではないか、という雰囲気がありました。

道の歴史館(妙高市公式サイト)前に掲げられているのは、江戸時代の高札(風雨・風雪にさらされる形になっているので、レプリカではないかと思われます)風注意書きで、日付は元禄八年十一月となっています。

五代将軍徳川綱吉の時代、赤穂浪士の討ち入り(元禄十五年)の7年前、ギリギリ17世紀(1695年)の高札ですね。

 

野生の猿による食害

余談として、関川関の傍ではこんな看板を見かけました。

野生の猿の食害は、割と深刻なものとなっているようです。

 

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