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【秋の妙高安曇野ドライブ旅 その6】信濃大橋、関川の関、野尻湖
信越大橋
休暇村妙高をチェックアウト後、次の目的地は善光寺ですということで、妙高から一路長野方面を目指して車をひた走らせることとなったのですが、
その道中、信越大橋という巨大な橋を通過しました。
全長、なんと902メートル!
ということで、橋を渡りきったところに用意されていたパーキングスペースに車を停めて、改めてチェックしてみることにしました。
信越大橋の向こうにそびえているのは妙高の山々ですが、
パーキングに立てられた、冬季の積雪量を思わせるポールも雪国ならではですね。
妙高(新潟県)側からだと橋を渡りきってすぐのところ、長野県側からだと橋を渡る手前当たりの位置にあたりますが、
この位置から望める風景の概観図と共に、
それぞれの山についての簡単な説明が付されています。
橋の親柱にはナウマン象のレリーフが埋め込まれ、
角をイメージした形に造られていますが、
ここから割と近い距離に、ナウマン象の化石が発掘された野尻湖があります。野尻湖までは車で精々10分程度という距離で、信越大橋の途中からは、住所自体が長野県上水内(かみみのち)郡信濃町「野尻」となっているようです。
北国(ほっこく)街道・関川(せきがわ)の関/関川宿
中山道と北国街道、国道18号線
橋上を少し歩いてみると、信越大橋の下にも道が通されているのが分かりますが、
この道はかつて中山道の脇街道として機能していた、旧・北国街道です。「北国」は「きたぐに」ではなく、「ほっこく」と読みます。
旧中山道は日本橋と京都が内陸部経由で結ばれた大街道(五街道の一つ)ですが、脇街道とはこの場合、中山道から分離した道であることを意味します(参考:【街歩き雑学/旧街道と宿場町】街道整備と江戸時代の旅)。
北国街道自体は、その道中に善光寺を含むことからかつては「善光寺街道」などとも呼ばれたようですが、中山道を経由して日本海側と太平洋側を結ぶ街道であったことから、特に近世以降、とても重宝されたようです。
旧街道=北国街道は、信越大橋上に通された国道18号線と、ある区間では合流し、またある区間では分離しという形で絡み合いながら、最終的には軽井沢(長野県北佐久郡)の追分(おいわけ)宿まで伸びています。
逆方向から(長野発のルート)だと、追分宿が起点となり、現・新潟県上越市の高田宿、直江津港、同じく新潟県の三島郡出雲崎町にある旧出雲崎宿(出雲崎観光協会 “北国街道出雲崎宿“)との間が結ばれていた形ですね。
現在の国道18号線は、新潟県上越市の海岸近くから野尻湖の横を経由して、最終的には群馬県の高崎市までが結ばれていますが、高崎から軽井沢までの18号線ルートが旧中山道ルートに、軽井沢から先の18号線ルート(善光寺や野尻湖を経由し、妙高から上越の海岸へと抜けるルート)がかつての北国街道ルートに、それぞれ該当します。
新旧の”一の橋”
北国街道沿い、信越大橋下にある関川の関は関川宿傍にある関所で、北国街道上、野尻宿の隣の宿場町にあたります。国道18号線沿いに関川関の広告が出ていたのを見つけて「ぜひ見てみたい」と、寄り道をしてみることにしたのですが、
そんなこんなで再び予期せぬ新潟入りとなりました。
18号沿いの広告を見る分には、18号をそれてすぐのところにあるのかなとは思ったのですが、関川の関までは多少距離があります。駐車場まで行って分かったこととして、施設の開館が9時からだということらしく(この時点で8時30分少し前)、時間的に厳しかった今回は「行くだけは行ってみよう」という程度の訪問にとどまってしまいました。
ということで、関所前から。
関所へつなぐ形で作られた木造の橋は、関川の関所ありし頃の一の橋が復元された「一の橋」ですが、その横に架けられた鉄製のトラス橋も、現在同じく一の橋と呼ばれているようです。
ちなみにトラス橋とは、日本では横浜の馬車道に初めて作られた鉄(かね)の橋が持っていたという、桁に△の構造を持つ橋の事です。19世紀の産業革命期、あるいは20世紀半ば過ぎの高度成長期を思わせるような風貌ながら、明治最初期にすでに日本に入ってきていたというタイプの橋(鉄の橋は明治2年竣工)です。
「新・一の橋」の向こうには信越大橋も見えていますが、自然の中に息づいた今を感じさせる風景ではありますね。
その一方で関川宿方面にかけられているのは、
日本の近世(江戸時代)を思わせる伝統的な木製の橋で、トラス橋の反対側を見ると、どこか懐かしいと感じさせる風景が望めます。
大まかな方向的には、斑尾(まだらお)高原(新潟県)とか、野沢温泉(長野県)方面の風景です。
関川の関/関川宿
一の橋を渡ると、そこには関川の関と宿があります。
山と山の間を流れる小さな川(関川)に架けられた木造の橋の先にかつての関所があるので、タイムスリップ感はかなり強めです。
仮にここで大掛かりな「江戸時代ドッキリ」をやられたとしたら、割と本気で信じてしまいかねない雰囲気がありました。
道の歴史館(妙高市公式サイト)前に掲げられているのは、江戸時代の高札です。
もちろんレプリカでしょうが、日付は元禄八年十一月となっています。
五代将軍徳川綱吉の時代、赤穂浪士の討ち入り(元禄十五年)の7年前、ギリギリ17世紀(1695年)の高札ですね。
余談として、関川関の傍でこんな看板を見かけました。
野生の猿の食害は、割と深刻なものとなっているようです。
野尻湖
時間の都合上、湖畔から湖を少し眺めるだけの訪問となってしまいましたが、
多少雲が多めの、野尻湖畔です。
野尻湖は、信越大橋からは結構近いところにあります。
ナウマンゾウ博物館がすぐ傍にある他、かつての北国街道の野尻宿の跡も、この付近にあるようです。
(続く)
アクセス
信越大橋
関川関所道の歴史館