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【冬の東北・信越青春18きっぷ旅/旧信越本線区間1】上越線・信越本線の柏崎駅にて

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【冬の東北・信越青春18きっぷ旅/旧信越本線区間1】上越線・信越本線の柏崎駅にて

越後線・信越本線の柏崎駅到着

JR新潟駅にて朝7時半過ぎの越後線に乗車。

道中吉田駅を経由して、10時前に柏崎駅に到着しました。

参考:新潟駅から越後線に乗車、柏崎駅へ

京都=かつての都に近い方から順に”上越・中越・下越”と新潟県内を三区分して捉える場合、柏崎駅のある柏崎市は中越地方に含まれますが、すでに中越地方の中心部である長岡市は通過している上、すぐ隣はエリア区分と同じ市名を持つ上越市です。

下越地方=新潟市(とその周辺地域)から中越地方の一番上越地方寄りのところまで移動出来たということで、語義に沿って日本史風味を増して捉えるのであれば、大分京都に近づいて来た感も出てきたところですね。

柏崎市といえば、というイベントとしては、毎年7月24日~26日に開催される”ぎおん柏崎まつり”(柏崎市公式サイト)の大トリを飾る”海の大花火大会“が、長岡、片貝の花火大会と並んで”越後三大花火”の一つに数えられています(長岡の花火大会は、秋田・大曲、茨城・土浦と並んで”日本三大花火”にもカウントされていますね)。

お祭り名に付された”ぎおん”は、平安時代に始まり1000年以上の歴史を持つという”日本三大祭り”の一つ、”八坂神社の祇園祭”との共催から始まったことに由来します(他、三大祭としては概して神田明神の神田祭と大阪天満宮の天神祭がカウントされます。リンクは共に公式サイトです)。

ただし、”ぎおん柏崎まつり”の”ぎおん”については、命名の由来について、京都の祇園祭(八坂神社公式サイト祇園祭とは“)との間にはワンクッションあるようです。

京都の八坂神社との間に直接の関係があったことからではなく、柏崎駅からも徒歩圏内にある(といえるところに位置している)八坂神社でのお祭り名から名称をもらい受けたという縁が、よく知られた”祇園祭”との間にある関係です。

柏崎の八坂神社の祇園祭自体が京都の八坂神社の流れを汲むお祭りであるということから、京都とは間接的につながっているという形ですね。

お祭りのスタートは1950年(昭和25年)、”ぎおん柏崎まつり”の名称決定が1953年(昭和28年)、その後1965年(昭和40年)ごろから現在の開催形式に定着していったようですが、お祭りの代名詞的イベントとなっている花火については祇園祭(新潟・柏崎)のルーツの方が長く、19世紀半ば(1840年)頃には開催が確認されています。

余談として、”八坂神社”自体が全国に多数(約2300社)ある中で、新潟・柏崎市の八坂神社(komachi web八坂神社“)については祇園祭の発祥地だという説もあるようですが(あくまで”そういう説もあるにはある”という次元の主張で、現在のところ特に確証があるという話にはなっていないようです)、八坂神社(柏崎)付近には”祇園祭発祥の社”碑もおかれています(参考:発祥の地コレクション祇園祭発祥の社“)。

参考:柏崎市公式サイト “ぎおん柏崎まつり“、”海の大花火大会“、柏崎市立図書館ぎおん柏崎まつり“、長岡まつり大花火大会公式サイト片貝祭り公式サイト

信越本線・柏崎駅

信越本線で、直江津駅へ

時間が時間で、なおかつこの後の乗り換えスケジュールも押していたということで、出来れば柏崎駅にて軽めの昼食を取っておきたいところではあったのですが、この日はそもそも街が年末年始休暇に入っていた時期だったということで、通常通りのサービスは期待できず。

駅前で営業していたNewDaysにて購入した軽食で済ませた後に、次の電車が待つホームへ。

10時42分発直江津行きが、目的の電車です。

信越線と信越本線 -今と”かつて”-

JR東日本の公式サイトなどではしばしば”信越本線”の表記を見かけますが、これに対して現地の案内表示では”信越線”の表記を目にする機会が多かったりします。

気になりだすと結構気になってしまうこともあるというこの相違、“信越線”の方が現在の公式表記(国土交通省が監修した”鉄道要覧”の表記となっていることを根拠とします)で、”信越本線”の方には(歴史的な意味合いが含まれた)愛称に近いニュアンスがあるようです。

JRが国鉄だった時代の”本線”は、”支線”に対する”本線”というニュアンスを持っていたことから、”幹線”と”枝線”の区分であれば、”本線”が幹線、”支線”が枝線に該当していました。

“東海道本線”、”東北本線”、”信越本線”、”北陸本線”などの”本線”は、そこからさらに派生した”支線”を持っていたということですが、例えば信越本線という”本線”に対しては、弥彦線の他、豪雪地帯に通された飯山線(旧・信越本線時代の関係から)などが”支線”に該当します。

この他、篠ノ井線(かつては中央本線の一部を形成していた時代を持つという、幹線です)や旧北陸本線、さらには上越線(宮内駅にて接続)や高崎線(高崎駅にて接続)等の”幹線”とも繋がっていたのがかつての信越本線でした。

今となっては、その名称の相違に”味わい深さ”と”実用性”の違い位が残されているところだとも取れそうですね。

参考:旧信越本線・旧北陸本線と三セク鉄道、のりものニュース “なぜ「常磐本線」ではないのか“他

柏崎駅ホームにて

駅改札からホームへの連絡通路を通って、

越乃Shu*Kura(JR東日本公式サイト)の駅名標が置かれたホームへ。

連絡通路からもホームからも、割とすぐ傍に山が見えていますが、柏崎駅自体はどちらかというと海の傍に位置している駅で、信越本線自体も柏崎駅より先(直江津方面)では、オーシャンビュー路線となっていきます。

海の傍というよりは、すぐ隣を走る路線ですね(参考:日本海ひすいラインと信越本線からのオーシャンビュー)。

柏崎駅・直江津駅間の信越本線自体には既に何度か乗車経験があるのですが、乗車自体はもちろん久しぶりのことです。

ほどなく目的の電車が入線し、引き続きこの日の”18きっぷ”旅へ。

ここから先は”現・旧信越本線を進む旅”です。

ロケーション

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