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【開港都市・長崎の風景】日本国ボウリング発祥の地(路面電車大浦天主堂駅傍)
ボウリングの発祥地
ちゃんぽん発祥店と”ボウリング”の碑
日本国ボウリング発祥の地=”わが国ボウリング発祥の地”を記念する碑が置かれているのは、路面電車の大浦天主堂駅傍、”ちゃんぽん発祥店”である四海楼(石碑の背後で赤い柱を持つ建物がそうです)のすぐ前です。
港町(特に開港都市)の外国人居留地跡あるあるともいえる特徴として”数々の日本初がある”ことが挙げられますが、長崎の居留地跡においてもそのご多分に漏れず、ボウリング発祥碑以外に国際電信発祥碑も置かれています。
多数のお土産店が軒を並べ、大浦天主堂やグラバー園へと向かって伸びたグラバー坂を目の前にしての”日本初”攻勢です、ということで、付近一帯にはかつての開港場・外国人居留地在りし日を偲ばせる風情が今日も残されています。
観光街歩きの場合、そのことに気が付いた瞬間、割と一気にテンションがあがるところですね。
真の発祥地は?
“日本初”をめぐってしばしば起こり得る話のような気がしますが、”ボウリング発祥地”に関しては、今に残された記録と史実の間に若干のずれがあるということが、長崎出身の郷土史の研究家によって指摘されています。
といっても、それがまるっきりの嘘だったという類の話しではなく、「厳密にはここではない」という程度のズレが確認出来るという類の話しではあるのですが、厳密には、ボウリングはまさに現在石碑が置かれた地で発祥したのではないようです。
およそ”ボウリング”と呼ばれる競技は、かつて”ヒロババ(広馬場町)”と呼ばれた唐人屋敷へと繋がる道沿いにあった、“インターナショナル・ボウリング・サルーン”というお店で幕末に発祥したとのことです。
唐人屋敷は現在の新地中華街の南東方向に位置する”新地”以前の中国人居留地で、”インターナショナル・ボウリング・サルーン”が置かれていた”ヒロババ”共々、幕末の開国後に外国人居留地へと編入されることになる地です。
現在石碑が置かれている地からは少々距離があるのですが、この点、”ヒロババ”で発祥したボーリングが、現在石碑が置かれている南山手の一角において大いに発展したことを記念して記念碑が設置されたのだ、というニュアンスで捉えるのが正しい解釈のようです。
“ズレ”の指摘自体が、「開港地という土地柄から発祥するべくして発祥し、かつ人気の遊戯としてボウリングが成長していった(育てた部分まで含めての”発祥”だ)ことを記念しての碑だ」という”補強エピソード”となっているのですが、この解釈の延長上にある”長崎のボウリング発祥関連豆知識”(?)として、実は付近には”ボウリング発祥碑”がもう一つ設置されていることも挙げられます。
グラバー坂沿いにある”ひろたか”(公式サイト)というお土産屋さんの横にも、自販機に寄り添うような形で”ボウリング日本発祥地“の石碑が置かれているのですが、このことも、発祥以来付近でボウリングが人気競技だったことを物語っているようです。
横浜、神戸、東京へ
長崎で発祥し、発展したボウリングは、その後横浜、神戸、東京等、国内各地へと広まっていきます。
横浜には、1864年に上陸したようです。
余談ですが、横浜市内で初めてボウリングサロンが設置された港の見える丘公園内・フランス山地区には、現在”横浜ボウリング発祥の碑“が置かれています。
参考:長崎県ボウリング連盟公式サイト “ボウリング発祥の地 長崎“