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【冬の東北・信越青春18きっぷ旅/鶴ヶ城周辺の史跡7】司馬遼太郎文学碑

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【冬の東北・信越青春18きっぷ旅/鶴ヶ城周辺の史跡7】司馬遼太郎文学碑

司馬遼太郎文学碑

会津若松と文学碑

鶴ヶ城公式サイト)の三の丸エリアに位置する福島県立博物館(公式サイト)の周辺には史跡が密集している一帯があるのですが、そこに建てられた史跡の一つに司馬遼太郎文学碑があります。

2013年(平成25年)、文学碑建設実行委員会によって建設されたものです。

元々一部から設置が望まれていたという文学碑は、タイミング的に(東日本大震災からの)復興のシンボルとなることも期待されたようですが、”司馬遼太郎の書いた真の会津の姿を後世に語り継ぎ、会津の魂を伝えてく”ことを狙いとして作られた碑には、司馬遼太郎さんの著作である『歴史を紀行する』及び『王城の護衛者』よりそれぞれ象徴的な言葉が抜粋され、刻まれています。

参考:一般財団法人 会津若松市公園緑地協会 『鶴ヶ城公園のいしぶみ』(平成28年5月26日)、会津若松商工会議所 “司馬遼太郎文学碑実行委員会“、”司馬遼太郎文学碑除幕式

いわゆる”司馬史観”と会津の文学碑

司馬遼太郎さん(1996年逝去)といえば歴史小説や紀行エッセイでおなじみ、今でもその分野ではトップクラスの知名度・人気を持つ作家さんですね。

さすがに国民的作家と称されるだけのことはあって、ただ単に”司馬遼太郎文学碑”ということだと日本全国に数か所(あるいはそれ以上)あるようなのですが、会津・鶴ヶ城傍の司馬遼太郎文学碑もまた、そのうちの一つにあたります。

ここで、こと”司馬遼太郎作品への評”ということになると二言目には言われるという、いわゆる司馬史観について。

「幕末の志士と言われる人物たちを美化した”明治維新”賛美と、若い力によってもたらされた”元気で明るい明治”が核になる。対抗軸として暗く厳つく権威主義に凝り固まった昭和陸軍が(”明治”とは別物の異端であるとして)提示され、時に辛辣な評がなされていく」という独特の偏りのある主張が、いわゆる”司馬史観”の肝となる要素です。

“明治の肯定”と”戦前昭和の否定”、司馬史観においてどちらが先に立つ要素となるのかについては一概にはいえないところなのかもしれませんが、ロジックとしては「戦前昭和を否定する→明治を肯定する→”明治”を生んだ”維新”を礼賛する」、という形の主張です。

ある意味、今日的な(大衆的な?)保守思想の一つのスタンダードを形成していると言えなくもない、ものの見方・考え方ですね。

分かりやすいといえばわかりやすい、でも極端なクセがあるといえばそうともいえるという”司馬作品に潜む特有のクセ”の根拠が司馬史観であり、この部分があることこそが、良くも悪くも司馬作品の人気の源となっています。

“クセ”や”史観”の象徴ともいえるのが代表作の一つである『竜馬がゆく』の作風ですが、この作品に出てくる坂本竜馬は坂本”竜馬”であって坂本”龍馬”ではないのだ、つまり坂本”竜馬”はあくまで作家・司馬遼太郎が生み出した(実在の人物をモデルとした)架空の人物であるのだと、他ならぬ司馬遼太郎さん自身によって位置づけられています。

曰く、我が身を顧みずに世のため、日本の夜明けのために土佐を脱藩した一浪人が、日本初の株式会社を作り、薩長同盟をプロモートし、船中八策を立案することによって近代日本の方向性を確定させた、等々といった(”竜馬”でドラマチックに語られる)事柄には、しばしば異論・反論が唱えられていて、どこまでが本当のことなのかわかりづらいというのもまたよくある話だったりします。

結局のところ司馬遼太郎さん自身の(昭和の陸軍所属経験などの実体験に立脚した)坂本龍馬好き、維新好き、明治好きという趣向がそういう作風を作り上げたということなのだろうと思うのですが、小説の面白さと”史実”が必ずしも等しくつながらない場合がある、基本的にそういう含みや偏りがあるのが”作家・司馬遼太郎”の描く世界なのだという面が、あるにはあるんですね。

それでは”司馬史観”が描く世界にとっての対抗勢力(幕末でいうなら、討幕派の対抗勢力=佐幕派)に対する解釈は、司馬遼太郎作品内で果してどうあるのかといえば、それでも評されるべきところはきちんと評され、拾われるべきところはきちんと拾われた上で、物語が進んでいます。

個人的な好み(?)とは別に書くべきところはしっかり書くことが出来る、「それはそれ、これはこれ」として世に名作を残すことが出来るという辺り、新聞記者出身の国民的作家・司馬遼太郎さんの作家としての器や資質が見え隠れするところでもありますね。

ということで、「会津の鶴ヶ城傍に司馬遼太郎文学碑」と聞いた時にはやや意外なイメージもあったのですが、「それがある」ということを知った瞬間に、(一時期かなり”司馬作品”にハマって読み漁っていた時期があっただけに)訪問がとても楽しみになった碑でもありました。

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