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【群馬/新潟青春18きっぷ旅:初日その4】JR信越本線・横川駅周辺と中山道の跡

日帰り旅/国内小旅行

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【群馬/新潟青春18きっぷ旅:初日その4】JR信越本線・横川駅周辺と中山道の跡

旧中山道、碓氷関所跡

県道222号線、92号線

横川駅前から、旧中山道へ

信越本線・横川駅で下車後、“峠”の風情を醸す駅舎周辺を背にしてまっすぐ進むと、”峠の釜めし・おぎのや”本店(公式サイト)の先に、一本の道が通されています。

群馬県道222号線、駅を背にして左手に進むとほどなく県道92号線となるこの道が旧中山道で、JR高崎駅付近からは概ね信越本線・碓氷川に寄り添うように伸びて、横川駅方面に向かってきます。

横川駅付近から先は、碓氷関を経て付近一帯では一番の高所となる碓氷峠へ、さらに碓氷峠を超えて軽井沢宿へと向かっていくことになるのですが、その昔、五街道中心の交通網が人流・物流の柱だった頃は、江戸の日本橋から高崎宿に出た後、この道を経由して京に向かうことになったというルートですね(旧中山道の高低差について、参考:GPSCycling “旧中山道の地図“)。

庚申塔

JR横川駅下車後ほぼすぐの県道222号線(旧中山道)沿いには、庚申こうしん塔が残されています。

庚申塔は、庚申かのえさるの年などに作られた塔であるために”庚申塔”と呼ばれている、道教信仰に基づいて建てられた石塔で、家内安全や五穀豊穣ごこくほうじょうなど、日々の幸せが祈念される形の願いが刻み込まれています(道教について、参考:about 媽祖廟)。

平たく言えば、民間信仰の一形態ですね。

庚申の年”など”については、庚申かのえさるの年の他、庚申講を3年・18回続けた年(”講”は会合や行事、結社、団体等を意味します。日本では江戸時代頃の流行でもあったようです)にも作ることが出来たようですが、干支の周期である60年に一度、もしくは講の規定による54年(以上?)に一度のみ、祈りを込めて作ることが出来る塔だったようです。

“講”ということでは、江戸時代には他にも伊勢参りを目的として組織された”伊勢講”や、富士山信仰を目的とした”冨士講”、一般的な寺社参拝を目的とした”講中こうじゅう“など様々な講が組織されていますが、このほかにも古来より日本社会で信仰対象となってきた道祖神についても、やはり江戸時代に盛んにつくられたという傾向があります。

天下泰平の時代はまた、文化の円熟期でもあったんですね。

中山道沿い、関所を手前にしての庚申塔ということで、何やら色々な想像を掻き立てられる瞬間でもありました。

小根山森林公園へのみち

庚申塔のすぐ近くには、首都圏自然歩道”関東ふれあいの道”(環境省公式サイト)の一部を形成している、”小根山森林公園へのみち”(群馬県公式サイト)への入口が作られています。

“関東ふれあいの道”は、「関東地方の一都六県を一周する、総延長約1800kmに及ぶ長距離自然歩道」で、”より多くの人々が利用できるよう”にという狙いから10km前後に区切った日帰りコースが160コースほど設定されているのですが、横川駅近くから始まる”小根山森林公園へのみち”も、分割されたコースの一つにあたります。

ぱっと見の第一印象では気軽な興味をそそられる”関東ふれあいの道”ですが、一部で通行止めが発生している場合や、正規ルートからの迂回指示がなされている場合もあるなど、必ずしも簡単に歩ける道ばかりではないようです(参考:群馬県公式サイト “首都圏自然歩道「関東ふれあいの道」群馬県コース“)。

入り口付近で既に難所を感じさせる”小根山森林公園へのみち”も然りで、登山系のサイト”ヤマップ“でコースの紹介がされている(yamap “小根山森林公園へのみち“)ほか、前後の道にあたる”旧道裏妙義のみち”および”山菜の道”についても同様に、散歩というよりは”山歩”=軽い登山といった方が近いニュアンスを持つコースのようです。

横川駅前に登山者カード入れが用意されていたことの意味が、この辺りからも伝わってきますね。

横川茶屋本陣

旧中山道沿い(群馬県道92号線)から少し入ったところ、石碑の奥に建てられた民家が”旧・茶屋本陣(武井茶屋本陣)”です。

碓氷関所在りし日には、関所傍にて代々横川村の名主を勤めていた武井家の邸宅の一部が、”本陣”に相当する休憩施設として利用されていました。”本陣”そのものではない茶屋本陣でも、通常の本陣同様、内部の意匠等には格式を意識した神経が細かく使われていたようです。

見学は、外観に限って許可されています(参考:WEB GUNMA横川の茶屋本陣“)。

ちなみに本陣とは、宿場町で一般の人たちが宿泊する旅籠屋(食事あり)・木賃宿(食事なし、安価)に対して、大名や公家など、身分の高い人たちが宿泊した宿のことです(参考:国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所 “宿場について“)。

宿場町ではなかった横川では本陣の設置が認めらなかったものの、”中山道の要所・碓氷の関所の直近に位置していた”という地理的な理由によって、本陣に相当する休憩所=茶屋本陣が設けられた、といういきさつがあるようです(参考:群馬県:歴史・観光・見所横川茶屋本陣“)。

現在、横川茶屋本陣は群馬県指定史跡に指定されています。

碓氷関所跡

周辺の地形と東門跡

横川駅前から見えた”むき出しの崖を持つ山の姿”は、旧中山道沿いからも延々視界に入って来ます。

自然と隣り合わせになっていることを身近に感じさせる風景は、安心感と共に本能的な恐怖感を伝えてくる面も持ち合わせていますが、

実際、付近一帯の地形はそれなりに危険な要素を持っているようです。

更に険しくなる道を前にして現在でもなおこの状況だ、という一点を根拠としても、旧中山道時代の交通事情については推して知るべしといったところではありそうですが(横川・軽井沢間の”碓氷峠超え”は、中山道屈指の難所とされていました)、

旧中山道沿い、横川茶屋本陣から少し歩いた先に、

碓氷関所跡、かつての東門の位置に碑が建てられています。

同じ中山道沿いには東門の先に西門跡の碑もありますが、東西の門跡の間は結構離れています。

旧中山道の碓氷関では、旧東海道の箱根関はこねのせきと並び称される厳格な取り締まり(特に、江戸に入る武器=入鉄砲と、”人質”の逃亡=出女に関する厳しい取り締まり)が行われていたようですが、双方の関所間には、碓氷関のほぼ真南の位置にあるのが箱根関、箱根関のほぼ真北にあるのが碓氷関だという位置関係があります。

近代的な測量機器などなかった時代、昔の人の土地鑑には中々すごいものがありますよね。

碓氷関所跡

東門の跡碑の少し先、旧中山道沿いに積まれた石垣の上に”碓氷関所跡”(安中市公式サイト)が残されています。関所が設置されたのは江戸幕府最初期の1623年ですということで、

今年2023年は関所設置400周年の節目の年に当たるようです。

階段を上って、敷地内へ。

通り沿いからも見えているのは旧碓氷関の門で、敷地内で道寄り中央に置かれています。

古代より設置されていた碓氷関がこの地に移ったのが17世紀(江戸時代、元和年間)のことで、現在の門は、当時の建材を利用して復元されています。

旧中山道に沿うように作られていた関所の見取り図も、復原された門の傍に置かれています。

関所を守る安中藩の役人に対し、通行人が手をついて通行許可を願い出たという”おじぎ石”も置かれていますが、建築物の類とは違った意味で時代を感じさせる一品ですね。

小さな祠も置かれていますが、関所の奥では八幡稲荷が祀られているようです。

祠のとなりには関所関連の石碑、

階段のすぐ真横には”関所会館”と、

資料館の建物もそれぞれ敷地内にあって、

“資料館”の前には立派な石碑も建てられています。

関所会館は、現在でも何らかの目的で利用されている施設なのかもしれませんが、観光利用に供するための常時開放はされていないようです。

碓氷関資料館の展示資料は現在、別の施設(鉄道文化むら傍)に移されているようで、入り口は施錠されています。

西門跡へ

横川駅とは反対方向に作られた階段の前に立つと、敷地内の関所の門が真正面に見えますが、もしかするとこちらから入るのが順路なのかもしれません。

ともあれ、階段を降りて、さらに先へ。

関所跡から少し進んだところに県道92号線(旧中山道方向)と県道224号線の分岐があるのですが、丁度その双方の間に既視感のある碑、

東門跡碑と同じタイプの”碓氷関・西門跡”の碑が建てられていますが、この周辺にはさらに、”旧中山道後の足跡”が幾つか残されています。

主要スポット

庚申塔(関東ふれあいの道入り口付近)

横川の茶屋本陣(武井茶屋本陣)

碓氷関所跡

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