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【00年代の札幌】野外博物館 北海道開拓の村(新札幌駅最寄り、野幌森林公園隣)

00年代の札幌

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【00年代の札幌】野外博物館 北海道開拓の村(新札幌駅最寄り、野幌森林公園隣)

北海道開拓の村

about 北海道開拓の村

“野外博物館 北海道開拓の村”(公式サイト)は、札幌市の東端、江別市との市境付近に作られた、開拓時代(明治~昭和初期)の北海道が再現された”野外博物館”です。

施設内の建物は道内各地から移築・復元されたもので構成されていて、すぐ隣には豊かな自然が残されている道立の野幌森林公園(北海道公式サイト “道立自然公園野幌森林公園“)や、同じく道立の総合博物館である北海道博物館(公式サイト)が位置しています。

付近一帯合わせることによって、さらに今昔の北海道を満遍なく味わうことが出来るのではないでしょうか、というエリアですね。

雪の季節の場合は周辺一面が雪景色となっているので、「これから開拓の村に向かうんだ」という心の準備があると、施設に入る前の時点で早くも”かつての北海道”を思い起こさせるような風情があります。

施設訪問のタイミングとしては冬が人気のようですが、夏をはじめとする雪の無い季節であれば、どこか青春18きっぷのポスターになりそうな一枚を狙える風景がそこかしこにあるということで、”雪の季節とそれ以外”の季節の対比が鮮やかになる施設でもあります。

この点、地元の人・談でも、「開拓の村? いいよね。やっぱり冬行ったのか」「でもね、冬行ったら今度は夏行くといいよ」「開拓の村は冬行ったら、次は夏なんだよ。夏もまた、いいんだよこれが」というような話を伺った記憶があります。

その後(その翌年か、翌々年かに)夏の開拓の村にも行って、確かにすごくよかった記憶があるのですが、残されていた写真は冬の開拓の村のものだけだったということで、今回は冬のみ、施設の一部写真をもとにして記事化しました。

内部は結構広く、ゆっくり見て回るとそれなりの時間がかかるのですが、施設ではボランティアガイドツアーが用意されている他、目的別のモデルコースも複数用意されています(公式サイト “ボランティアガイドツアー“)。

通常時であれば施設内には見学用の馬車が用意されているのですが、2023年8月現在、一時的に運用が休止されています(参考:公式サイト “馬車鉄道について“)。

現在はYouTubeの公式チャンネルも設置されていて(北海道開拓の村(公式) Historical VIllage Of Hokkaido)、数々の企画動画やショート動画の他、施設内の様子を見ることが出来るライブカメラも用意されています。

札幌市の中心部からはやや距離がありますが、現地までのアクセス手段として、JR千歳線の新札幌駅(各駅停車で札幌駅から4駅目、快速エアポートであれば札幌駅の次の駅です)、あるいは地下鉄東西線の新さっぽろ駅前から、開拓の村行きの直通バスが運行されています(JR北海道バス公式サイト “新札幌バスターミナル詳細“”時刻表“)。

開拓の村へ

開拓の村・入口から馬車へ

施設の入り口に置かれている、雰囲気のある建物は、

明治41年竣工、旧札幌停車場の正面外観が再現された建物です。

“開拓の村”の開設が実物解体後だったということで、かつての北海道が再現された施設の玄関口に”レプリカ”が再現されています。

施設内に入ると、そこにあるのはかつての北海道で、雪の季節であれば”一面銀世界の中に再現されるかつて”という風景が広がっています。雪景色が新鮮な上、かつてが再現された風景もまた斬新だということで、刺激が二重に刺さってくるのですが、

さらに、移動手段として馬車が用意されています。

野外博物館の中に入ったというよりはテーマパークの中に置かれたような気分になったことを思い出しますが、馬車は施設内のメインストリートをまっすぐ、奥の方まで進んでくれますが、

施設内を徒歩で巡っていると、しばしば馬車が行き来する様子を目にします(以下、施設について、参考:開拓の村公式サイト “案内図“)。

旧札幌警察署南一条巡査派出所

明治18年=1885年、札幌市の中心部創成橋の並び(南一条西)に設置された交番が、明治44年=1911年の皇太子の行啓にむけて、この建物に作り替えられたようです。

レトロな赤レンガ造り、かつ入口に掲げられているのが木製の看板だということもあってか、現在の華やかな中心部を思う時には、やはり昔日の面影がかなり強めの施設になっています。

ちなみにこの交番が新設された頃、未だ豊平館時計台付近、大通り公園との間に位置していました。

時計台についても現在地に移転して間もない頃で、当時時計台を所有していた現・北海道大学は、”札幌農学校”時代を経て、東北帝国大学農科大学から北海道帝国大学への移行期に該当します。

雰囲気があるのも納得ですね。

旧・北海中学校

2023年夏、野球部が南北海道大会で2年ぶり40度目の甲子園出場を決めたという、現在の私立・北海高校の前身、旧制・北海中学校(明治38年創設)で使われていた校舎です。

旧制の北海中学校は現在の北海高校の前身にあたる学校ですが、その北海中学は明治18年=1885年に創立された、北海英語学校を前身とします。

当時の北海道には札幌農学校の予科に進学するための中等教育機関が整っていなかったという事情があったため、この事情を汲んだ札幌農学校の卒業生によって予科進学のために作られたのが、後に北海中学から北海高校となる北海英語学校でした。

ちなみに”予科”とは、旧制大学が学部進学前に設けていた、旧制高校に準じる教育過程のことです。

北海英語学校が北海中学となるにあたっては校舎が移転し、新築されています(明治42年=1909年)が、”開拓の村”に遺されている校舎は、この明治42年に新築された校舎が移築・復元されたものです。

参考:北海高校公式サイト “北海高等学校の歴史

実際に内部に入ることも出来ますが、板張りの廊下にはオルガンが置かれていて、

教室には黒板が設置され、さらには机・椅子の形などもレトロなもので統一されています。

極端な話「明日から再び教室として使う」ということになったとしても実用に耐えうる施設なのではないかというようなことを思わせる雰囲気があるのですが、2023年現在、近い将来の改修が予定されているようです(北海道公式サイト “R5北海道開拓の村旧北海中学校改修工事実施設計に係る公募型プロポーザルの実施について“)。

雪道と開拓の村

開拓の村では、森の中に開拓された村を思わせるような木々に囲まれ舗装された道と、

どこかレトロな電柱や建物の数々が、馬車が通された道沿いや、徒歩で進むことになる道沿いの両脇に延々と作られています。

旧・浦河公会堂

明治27年に、北海道開拓会社”赤心社”の集会場として作られた建物です。

建物上の十字架は、”赤心社”の指導者の多くがキリスト教徒だったこと、礼拝所として使われたことによっていますが、赤心社は「指導者の多くがキリスト教徒だった」というよりは、キリスト教徒の開拓団だったようです(浦河町公式サイト “赤心社の歴史“)。

内部に入ってみると、そのまま教会を思わせるような作りになっています。

旧広瀬写真館/旧札幌拓殖倉庫

手前に位置する赤い屋根の建物は、旧広瀬写真館です。

大正13年=1924年に岩見沢に作られた写真館で、昭和33年=1958年までこの建物で営業されていたようです。

奥の緑屋根の建物は、旧札幌拓殖倉庫です。

明治40年=1907年に作られ、倉庫としての現役時代には札幌駅の北側に位置していました。

どちらの施設も内部見学が可能です。

開拓の村には、このほかにもかなりの数の、見ごたえのある移築された建築物があるのですが、敷地面積は自体は54.2ヘクタールで、お馴染みの”東京ドーム”換算だと約10個分に該当する広さを持っています。

なのでゆっくり見て回った場合には半日~丸一日くらいはかかるのではないでしょうか、とは感じます。

要所だけを抑えて見て周りたいという場合には小一時間程度で切り上げることも可能だったように思えますが、記憶に残る限りでは、やはり2~3時間は滞在するという訪問の仕方がお勧めです。

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