【街歩きと横浜史】あかいくつ履いてた女の子のお話

山下公園

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【街歩きと横浜史】あかいくつ履いてた女の子のお話

あかいくつの女の子と海外渡航

山下公園内の芝生広場中央からやや北西寄りの海沿いに、”赤い靴履いてた女の子“像があります。

家庭の事情から、外国人宣教師に託された「赤い靴を履いた少女」が横浜から海外へ渡航していったという、どこかもの悲しさを伴う「実話に基づいた物語」は動揺としても歌われました(参考:Uta-Net赤い靴“)。

赤い靴の少女が実際に海外へ渡航したのだとすれば、少女像から伝わって来るどこかもの悲しいイメージはホームシック的な感情から来るのだろうと捉えるのが自然ですが、おそらくはそれが一般的なイメージではないでしょうか。

なのですが、実は「赤い靴履いてた女の子」の話しは、「女の子の海外への渡航」の有無や「赤い靴を履いていたか否か」など、話しの根幹にかかわる部分についての論争があるようです。

「赤い靴」の女の子はそもそも両親と離れた後、海外渡航を前にして国内で結核で亡くなってしまったため、海外へ渡航したわけではなかったのだ、赤い靴も履いていなかったのだという有力説があるんですね。

 

“女の子”は本当に海外へ渡ったのか

“女の子”の想い、本当のところは?

“女の子”が赤い靴を履いていたかどうかについてはともかく(それも大事といえば大事なところですが)、やはりそれ以上に問題になりそうなのは、海外渡航の有無についてです。

仮に「渡航していなかった」が真実である場合、遠い異国に思いをはせたまま日本で亡くなった女の子が、「自分が行くはずだった海の向こうの国」に思いをはせていた姿こそ、「赤い靴の女の子」像がまとったどこか物悲しい、寂し気なイメージの根拠となります。

ここにおいて、「思い」のベクトルが真逆になってしまうわけです。

渡航前に海外を思った上での「もの悲しさ」であれば、前途=海外での日々への期待にポジティブなイメージが宿り、反対に渡航後に日本を思った上での「もの悲しさ」であれば、渡航前の日本での懐かしい日々にポジティブなイメージが宿るのだ、と捉えるのが自然な解釈ですからね。

 

周囲が感じる”あかいくつの女の子”イメージ

渡航の有無の違いは、結論として「異人さんにつれられて行っちゃった」と、歌のほぼ冒頭で言い切っている童謡が描いていた世界を全て吹っ飛ばしてしまう可能性を有すことにつながりますが、二説(女の子の海外渡航の有無)を比較した場合、ともすると「女の子が海外へ渡航できなかった」説の方がハマってくるようにも思えます。

海外に開かれた観光地に残すにふさわしい”物語”としては、物悲しい現実があったにせよ、やはり海外渡航にポジティブイメージが宿る”実際には渡航出来なかった説”に軍配が上がりそうなところではありますからね。

もちろん、もとより『赤い靴』の話しは『赤い靴』の世界のみで完結している話だったのだということを否定しないのであれば、その限りではありません。それはそれで”かつての時勢が生み出した一つの物語”として完結しているのだから、単純に「連れられて行っちゃったからかわいそう」でも通じてしまいます。

「確かに、恐らく当時はまだそういう時代だったんだよね。でもそういう時代を経た今となっては、随分イメージも変わったんだよ」と捉えれば、物語を巡る時の流れまで味わえるわけですからね。

「こういうフィクションが成立した背景に、実在のモデルとなった女の子がいたのだ(そして、実話はフィクションとは異なるのだ)」というとらえ方をしたとしても、『赤い靴』にまつわる世界はそのまま存続出来てしまうわけです。

 

横浜港と”あかいくつの女の子”

ということで、「海外へ渡航した」「渡航しなかった」二説を比較してみたとき、双方は一見致命的な対立をしているかのように見えて、その実、現実と「創作」がいい具合に練れているようにも見えてきます。

「海外へ渡航出来た=連れられて行っちゃった」説が通説として通っていることが、「実際には渡航出来なかった説」に対してのいいバランスになっているように感じ取れなくもありません。

「海外へ渡航出来なかった」という説がある一方で、一般イメージと共にある「連れられて行っちゃった」物語が存在していることによって、海外へ向かうポジティブイメージ、日本国内を思うポジティブイメージ、双方にいいバランスが生じているように伝わってくるんですよね。

本当のところはさておき、

仮に女の子が渡航できなかった場合でも、その魂だけは海外にいる宣教師さんのもとに無事行けたのではないかな、そうであってほしいな、などと思っています。

 

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