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箱根湯本を街歩き(湯本小学校跡、箱根電燈発電所跡、小田原馬車鉄道・電気鉄道湯本駅跡)
箱根湯本歩き
早雲寺詣でのあと、その付近(箱根湯本界隈)を少し歩いてみたところ、幾つか土地ならではの歴史を感じさせる史跡を発見しました。
湯本小学校跡
箱根旧街道線のバス通りからはじまる、弥坂というゆるい下り坂を下ってすぐのところで見つけた、湯本小学校跡です。
早雲寺から弥坂へ向かって歩いた時に、T字路になっている交差点の交差点付近に位置しています。
箱根湯本の歴史にあっては比較的最近の部類の話しかもしれませんが、明治5年(1872年)、この地に近代の箱根初の学校が出来たようです。
弥坂
弥坂は、バス通り付近から降りる際にはさほど急な坂ではないのですが、
突き当りを向かって左に進むと、いきなり急な下り坂となります。
この坂は弥栄橋という道なりに作られた橋の手前で、”いかにも温泉街”という雰囲気を持つ湯場滝通りへと繋がっていきます。
湯葉滝通り沿いの風景
箱根電燈発電所跡
湯場滝通り沿いには”いかにも箱根ならでは”という史跡が幾つか残されていますが、そのうちの一つは、1892年=明治25年に設立されたという国内で二番目に古い”発電所”設立が記念されたという、箱根電燈発電所跡です。
小田原馬車鉄道・電気鉄道湯本駅跡
同じく湯葉滝通り沿いには、小田原馬車鉄道という、馬車にひかせた鉄道の駅(湯本駅)跡地の碑がありました。
小田原馬車鉄道は日本で三番目の馬車鉄道で、現在の箱根登山鉄道の前身にあたる会社です。
乗合馬車や人力車で結ばれていた区間に馬車”鉄道”を新たに通すということに対して、はじめは反対意見も少なくなかったようですが、当時の箱根湯本には東京・京都間を結ぶ大動脈・東海道を小田原・箱根に通さないことには界隈が廃れてしまうという危機感もあったことから、馬車鉄道、電化鉄道敷設実現へと至ったようです(参考:箱根温泉箱ぴた “馬車鉄道の開設“)。
明治21年(1888年)10月、既に新橋から国府津まで伸びていた鉄道の延長に敷かれた”馬車鉄道”では、国府津・湯本間が1時間20分で繋がれていました。
馬車鉄道当時は二頭の馬に客車を引かせていたようですが、やがて電化され、動力源が馬力から電力へと進化を遂げます(参考:箱根登山電車公式サイト “登山電車への道“)。