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開園150年後の”外国人専用公園”
山手公園へ
“国内テニス発祥地”のメインストリート
山手本通りから下った場合、あるいは公園坂から上った場合の、山手公園(公式サイト)入り口付近です(公園北部)。
傍には”テニス発祥地”碑の他、
付近のテニスコートへの入口も用意されていますが、
まっすぐ進むと右側に横浜山手テニス発祥記念館が、突き当り左側には旧山手68番館があるという、公園内のメインストリート的な道につながっている入口ですね。
テニス発祥記念館を過ぎると道の両側がテニスコートとなりますが、特に初夏を過ぎてから先、紅葉真っ只中の季節辺りまでは、そのことが分かりづらいレベルで緑が生い茂ります。
“記念館”から少し進んだだけでも建物が緑に隠されていますが、さながら山手公園というよりは”山の中公園”という感じで、元町公園の中腹付近の雰囲気に似ているといえばそうとも取れる、やはり開港以前の横浜山手を思わせるような雰囲気が残された公園の一つです。
途中から薄っすら見え始めてきますが、通りの突き当りには、
“日本最初の洋式公園”開園120周年を記念した石碑が置かれています。
石碑のすぐ左手、緑や木漏れ日の向こうに見えているのは、
現在は公園管理事務所兼テニスコート付属の休憩施設として使われている、旧山手68番館です。
山手68番館を背にして向かいにあたる位置は、山手公園内の芝生広場になっていますが、国指定名勝となったことを記念する石碑などが置かれているスペースでもあります。
“国内テニス発祥地”である山手公園では今も連日テニスが楽しまれていますが、公園としてもテニスコートとしても、この地でかれこれ一世紀以上に渡って続いて来たのだという、そんなことがよくわかる公園中心部(テニスコートエリア)ですね。
芝生の広場と山手公園
一方で、”ただテニスコートがあるだけで終わり”ではないのも山手公園が持つ個性でもあります。
おしゃれなガゼボが用意されていたり、ベンチが用意されていたりというスペースは、”テニスをしない人にとっての山手公園”的なエリアですが、芝生広場の一部は地域ネコちゃんたちの集会場ともなっています。
プライベート感が強いことが魅力といえば魅力となるスペースですね。
“テニスができる元町公園”とでもいえそうな環境下にある山手公園は、山手地区の中ではイタリア山庭園の”イタリア式庭園”(外交官の家裏手の花壇)に近からず遠からずな雰囲気を持っているようにも感じますが、先だっての某感染症大流行時(外出自粛要請期間)、このスペースや”外交官の家裏手”辺りが静かに賑わっていたことも、今となってはある意味思い出深くもある過去の一コマです。
公園内に幾つかベンチが用意されていたことも、大きかったのでしょうね。
この芝生スペースにも、公園の出入口(妙香寺傍から本牧通り側へ)が用意されています。
芝生エリアのすぐ隣には、丘の斜面部分が山手公園の一部となっているエリアが広がっていますが、本牧通りや桜道側から山手公園に入る場合、このエリアから公園中心部に向かいます。
総じて、山手公園は現在もどこか”隠れ家”的な雰囲気を醸していますが、その点こそが「幕末の物騒な世の中に、外国人居留地内の外国人専用公園として始まった」公園のルーツを感じさせるといえばそうとも受け取れる、中々にいぶし銀な個性となっています。