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【港町の日常】ほんのちょっとだけ懐かしい新山下エリアの風景
新山下と横浜港
昨今ではみなとみらい線・みなとみらい駅を中心とするエリアや、横浜駅東西口を中心とするエリアなど、大型商業施設(みなとみらいエリア/横浜駅東西口エリア)の華やかさが目を引くエリアの台頭著しいのが沿線風景の特徴となっている部分もありますが、基本的に横浜の中心部(中でも現在のみなとみらい線沿線)は、港町として発展してきた”横に浜がある”エリアなんですよね。
ということで、元々は海(あるいは入り江)だったところも含めて、今でも”海と隣り合わせ”のエリアが延々続いていることも特徴のうちに挙げられます。
ただし、同じく”海の隣に位置している”とはいってもかつてとは風情が違ってきている、というのも良くある話です。新山下エリアについても然りで、かつてはとにかく大型トラックの往来が目立っていたという一帯では、現在、観光目的の人流が増えてきている傾向があるように見受けられます。
元々の海岸線自体が街の発展に伴って大きく変わっている部分がある、なおかつ後から作られた(埋め立てられた)地にしても街の発展と共に用途が変わって来る場合がある、ということですね。
「それでは、元々天然の浜や海岸線はどのあたりまで来ていたのか」という点に目を向けると、例えば山下ふ頭や現在の新山下エリア(参考:ちどり坂)、さらには本牧ふ頭などは、江戸時代(17世紀)に作られた吉田新田や、戦前に竣工した新港ふ頭などと並び、”後から作られた陸地”に該当します。
実は結構な増え方をしているということがわかるのですが、特に近代以降に至っては、まずはじめに右肩上がりの貿易規模ありきで中心部の都市計画が進められた部分があったため(新たな施設が次々必要とされ、結果”旧地”が不要となるケースが出てくるなど)、埋め立て地の用途についても変更を余儀なくされる部分含みで開発が進みました。
貿易規模拡大に伴った貿易港の拡大を理由としたもので、捉え方によっては”うれしい誤算”となる部分ですね。
現在は完全に観光地化している山下公園(横浜市公式サイト)エリアや象の鼻エリアも、かつては外交の進捗や港湾開発と共にあったという観光スポットですが、現在は山下ふ頭や新山下エリアにおいて、本質的には同種の理由の下にある再開発が進んでいます。
tycoon閉店とかき小屋、その後
tycoon跡地・かき小屋(現在は閉店)
ということで、その昔の倉庫街からの変貌が著しい、昨今の山下ふ頭・新山下エリアですが、観光をメインとした再開発の途上にあって、かつての名物店・エスニック料理レストランのtycoonが閉店したのは、今をさかのぼることボチボチ10年前になるという2015年のことです(参考:タイクーン 《TYCOON》日記 “閉店のお知らせ“)。
同地にて四半世紀の歴史を刻んだ名物店だったからだということなのか、その翌年、tycoonの協賛を連想させる”by tycoon”の文字入り看板を有す、かき小屋がオープンしました。
“ミルキー鉄男のかき小屋”(公式サイト)は、牡蠣の本場・広島でも浜焼きを売りとしている名物店ですが、横浜・新山下でも広島でのスタイルそのままに牡蠣を食べさせるお店として営業していました。
おいしそうな牡蠣の他、
ホタテなど。
といっても、ただ単にこの看板を見て吸い込まれるように店内に入ってしまったという程度の客としては、焼き方や焼き加減など一切のことが分からないため、そのあたりのことを全部店員さんに説明すると(焼き方から何から一切のことが分かりません、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします、という感じで 笑)、一から全部要領を説明してくれました、というような記憶が残っています。
親切な店員さんだったために食事の時間自体を楽しむことが出来、なおかつものすごくおいしい浜焼き風海産物を楽しむことが出来ました。
残念ながら新山下のかき小屋は現在閉店してしまっていますが(はっきりとは覚えていませんが、結構前です)、その後コレットマーレのレストラン街などでも牡蠣の浜焼きを楽しむことが出来る時期がありましたね(こちらも、現在は閉店しています)。
現在、横浜市内の、特に”みなとみらい線沿線でかき小屋風のかきを”という場合、”居酒屋 浜の牡蠣小屋 関内本店”(公式サイト)にて楽しむことが出来ます(JR根岸線の関内駅が最寄り、みなとみらい線であれば日本大通り駅が最寄りです)。
その後 -UNION HARBOR、Re : Journal-
現在、かき小屋が営業されていた”元・tycoon”跡地では、結婚式場/イベントスペースのUNION HARBOR(公式サイト)、およびレストラン/バーのRe:Journal(公式サイト)が営業されています。