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横浜山手とJ.H.モーガン(西洋館と山手本通りの街並み)

港の見える丘公園

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横浜山手とJ.H.モーガン(西洋館と山手本通りの街並み)

about J.H.モーガン

ジェイ・ヒル・モーガンさんは、1920年(大正9年)に来日し、近代日本に数々の西洋建築を残したアメリカ人建築家です。日本国内ということでも、丸の内ビルディング(以下、丸ビル)や日本郵船ビルの建築などに携わった実績があるのですが、以下にまとめるように、現在の横浜山手(特に山手本通り沿い)にも数々の建築を残しています。

全てのきっかけは、モーガンさんの来日と、その後の来歴にありました。

 

丸の内でのJ.H.モーガン

元々はニューヨークの建築家だったモーガンさんは、丸ビル建設を目的とした、東京での都市開発が縁故となって来日します。今からすると信じられない部分もありますが、鉄道開通・東京駅開業(1914年=大正3年)前、当時の東京停車場(現・東京駅)前は原野同然だったようです。どこか、かつての横浜駅前(現在の三代目横浜駅周辺)を思わせるようなエピソードではありますが、そこに三菱主導の下、二大ビル(三菱本社ビル、丸ビル)を建設するという計画が、アメリカの建設会社とのコラボ企画として進行します。

後に”二大ビル建設計画”は”丸ビル建設計画”に一本化されるのですが、このコラボを請け負ったのがアメリカ・ニューヨークを拠点とする建設会社・フラー社で、モーガンさんはそのフラー社の設計技師長として来日しました。

三菱にフラー社との縁が出来たこと、およびその縁によってモーガンさんが来日することになった経緯には、三菱側の働き掛けによる偶然も多々作用したようですが、結果として三菱・フラー社の間で商談がまとまり、東京駅前での丸ビル建設計画が立案・実行されます。

三菱との協同で丸ビル建設計画が進行していく過程において、フラー社は日本石油の”日石ビル”(日本石油は、後に1999年=平成14年以降、三菱グループの企業となります)、さらには三菱のグループ企業である日本郵船の”郵船ビルディング“(終戦直後にGHQに接収され、1945年9月~1956年1月まで、極東空軍尉官宿舎として使用されたことで有名な建物です)の建設も請け負うことになるのですが、モーガンさんはこの双方の建設にも関わることとなりました。

 

横浜でのJ.H.モーガン

時は流れて関東大震災(1923年=大正12年)後、日本から撤収したフラー社とは対照的に、モーガンさんは日本に残る道を選び、横浜山手に数々の近代建築を残すこととなります。

その結果、現在も横浜山手にはモーガンさんの色が所々に残されていて、そのことが現在の山手地区の個性の一つとなっているのですが、横浜山手で街歩きをする、特に港の見える丘公園、元町公園、イタリア山庭園など公園・庭園を転々としながら西洋館を見て周る時には、モーガンさんの経歴共々、予備知識としてこの事を知っておくと「なるほど!」と思える何かが出てくるかもしれません。山手地区以外でも、その近隣の根岸地区に位置する根岸森林公園内の旧根岸競馬場一等馬見場も、モーガンさんの設計です。

(参考:三菱地所設計公式サイト丸ビルの建設“、横浜都市発展記念館報ハマ発 第五号 2005年10月号 日本を愛した建築家J.H.モーガン“)

 

モーガン縁の建築物 at 横浜山手

山手111番館

港の見える丘公園内にある西洋館、山手111番館は、モーガンさん設計の西洋館です。

1926年(大正15年)、開港期よりイギリスになじみが深かった現在地に、港湾の荷役会社を経営していたアメリカ人・J.E.ラフィンさん(戦前・戦中の動乱期を経て、戦後はヨットクラブの育成・運営などで横浜の発展に尽力された方だったようです)の私邸として建築されました。

山手111番館の館内には、モーガンさん関連の常設展示が用意されています。

 

横浜外国人墓地・旧山手門

横浜外国人墓地公式サイト墓地内写真・動画)で”旧山手門”とされている一代前の正門は、モーガンさん作の門です。現在も門柱部分には”モーガン作”がほぼそのまま残されていますが、残念ながらかつての門扉部分は戦時体制のあおりを受ける形で解体され、その後現在の形になったとのことです(現在の正門には、先代の門扉に似せて作られた門扉が後付けされています)。

 

横浜山手聖公会・聖堂

山手本通りに面した横浜山手聖公会の三代目聖堂(現在の聖堂)は、J.H.モーガン設計で、関東大震災後の1931年(昭和6年)に竣工しました。

 

ベーリックホール

元町公園内に建てられたベーリックホールは、1930年(昭和5年)に、イギリス人貿易商バートラム・ロバート・ベリックさんの邸宅として同地に建築され、後に1956年(昭和31年)にカトリック・マリア会(カトリック教会の男子修道会)に寄贈されると、以降セント・ジョセフインターナショナルスクール(西暦2000年=平成12年廃校)の寄宿舎として使用されました。

寄宿舎としての役割を終えた後、2001年(平成13年)に建物はマリア会より横浜市に寄贈され、2002年(平成14年)から”ベーリックホール”としての一般公開が始まりました。

同じく、モーガンさんの設計です。

 

バプテスト神学校発祥の碑(額坂沿い)

元町公園に沿うように通された坂道である額坂沿いには、現在の関東学院のルーツとなったバプテスト神学校が発祥したことを記念する碑が置かれていますが、バプテスト神学校が関東学院となった後、1929年に旧制の関東学院中学校の本館の建物として建築された校舎が、モーガンさんの設計によるものでした。

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