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横浜外国人墓地(山手本通り沿い、ブラフ99ガーデン隣、見尻坂傍)

横浜街歩き

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横浜外国人墓地(山手本通り沿い、ブラフ99ガーデン隣、見尻坂傍)

横浜山手・外国人墓地

ロケーション

元町中華街駅屋上・アメリカ山公園からの上り坂が山手本通りと交差する地点、通り沿いの右手に位置するのが横浜山手の外国人墓地(日本語版公式サイト)です。

墓地の敷地は山手本通りに沿って続き、貝殻坂元町公園に隣接しています。

反対側の並びにはブラフ99ガーデン、ブラフ99ガーデン方向へ向かう山手本通りの突き当りには港の見える丘公園があります。

 

入り口付近と正門、JHモーガンとの縁

中央付近に写るのが外国人墓地の入り口である正門、右手にあるのは資料館とその入り口です。

正門は、公式サイトには”山手門”、公式パンフレットには”山手大門”と記載があります(以下、”山手門=正門”とします)。

現在の正門の前には一代前の正門がありますが、公式サイト(横浜外国人墓地公式サイト:墓地内写真・動画)で”旧山手門”とされている一代前の正門は、近代横浜にいくつもの西洋建築を残したJ.H.モーガンの作です。

現在も門柱部分には”モーガン作”がほぼそのまま残されていますが、残念ながらかつての門扉部分は戦時体制のあおりを受ける形で解体され、その後現在の形になったとのことです(現在の正門には、先代の門扉に似せて作られた門扉が後付けされています)。

余談ですが、J.H.モーガンさん設計の建築物は、外国人墓地の正門の他、山手111番館、横浜山手聖公会聖堂、ベーリックホールなど、現在の山手地区にもいくつか残されています。

モーガンさん自身が現在山手の外国人墓地に眠られている他、港の見える丘公園内の山手111番館では、モーガンさんの遺品や関連資料が常設展示されています(山手111番館 “about J.H.モーガン“)。

 

外国人墓地のはじまりと、開港期横浜の”墓地”事情

ときは1854年=嘉永7年、幕末のペリー来航時の話しです。

ペリーの艦隊=米海軍東インド艦隊が日本に寄港した際、航海中の事故によって死亡した艦隊の水兵を葬るためとして、ペリーによって「海の見える墓地」が望まれます。

このことを契機として、同年より横浜における外国人墓地の歴史が始まりました。

当初元町界隈にあった増徳院(関東大震災による被災後、現在地に移転します。山手本通りを走る神奈中バス11系統に、”増徳院前”バス停あり)の境内の一部が外国人墓地として使われたのち、1861年=文久元年には現在の元町側通用門付近が墓域となり、1866年=慶応2年にはほぼ現在の墓域まで拡張されました。

その後1871年=明治4年には当時の清国人の墓地(現在の中華義荘です。公式サイト)が中区大芝台に移転されたほか、1902年=明治35年には新たに根岸地区(中区仲尾台)にも外国人墓地=根岸外国人墓地が作られました。

このほか”根岸地区の墓地”ということでは、開港後の横浜の人口急増、震災や戦災の犠牲者への対応を余儀なくされる形で、かつて旧町名(根岸村相沢)を取る形で相沢共葬墓地と呼ばれていた、現在の根岸共同墓地(中華義荘と同じ中区大芝台にあって、ほぼ中華義荘に隣接し、日本人が埋葬されています)があります。

 

参考:横浜外国人墓地公式サイト “横浜外国人墓地の成り立ち“、Web版有鄰第 501 号 [座談会]横浜の外国人墓地

 

外国人墓地資料館

外国人墓地正門=山手門の隣にある小さな門をくぐると、

外国人墓地の資料館前に出ます。

資料館では、外国人墓地自体の沿革や、横浜市内の他外国人墓地の歴史について触れた案内書きが展示されています。

“墓地の資料館”然とした室内にある窓外すぐのところには、

眼下に墓地が広がる様子が望めますが、

土日・祝日であれば、墓地内を見学することが出来ます。

 

外国人墓地・墓域へ

外国人鉄道技術者・エドモンド・モレルの墓

日本初の鉄道敷設に功績のあった外国人のうち8名が横浜山手に眠り、その墓所は全てが鉄道記念物、あるいは準鉄道記念物に指定されているといったように、

その功績は現在もJR東日本によって称えられていますが、

8名のうちの一人は、JR桜木町駅前にも記念碑(レリーフ)がある、エドモンド・モレルさんです。

鉄道をはじめとする公共交通機関の運賃の支払いがICカードメインとなって久しい昨今。”懐かしアイテム”感も漂う鋏が入った切符がかたどられた石碑と共に、

功績が碑文で称えられています。

ちなみにエドモンド・モレルさんの墓は、8名の中で唯一、旧国鉄によって”鉄道記念物”(コトバンク “鉄道記念物“)に指定されています。

 

ジョン.R.ブラック、快楽亭ブラック父子の墓

英国籍のオーストラリア人噺家である快楽亭ブラック=石井貌剌屈(いしい ぶらっく)さんは、父親であるジョン.R.ブラックさんの隣に眠られているようです。

ちなみに、”日本初の外国人タレント”とも言われるヘンリー・ジェイムズ・ブラックさんの父・ジョン・レディ・ブラックさんは、日本で活躍したジャーナリストです。

ジャパン・ヘラルド(1861年=文久元年11月23日創刊)で編集=主筆を務めたのち、日新真事誌(1872年=明治5年3月創刊)を創刊しました。

ジャパンヘラルドは日本初の英字新聞として、日真真事誌は近代日本の新聞の創世期に発刊され、後の自由民権運動につながる「民選議院設立建白書」を掲載(1874年=明治7年)したことで、それぞれ有名となった新聞です。

余談ですが、”ジャパンヘラルド”及び”日真真事誌”創刊の間には、それぞれ、初の日本語新聞である”海外新聞“(1864年 or 65年)、初の日刊新聞である”横浜毎日新聞“(1871年)の創刊があります。

 

マリア像

2000年(平成12年)に廃校となった、セント・ジョセフ・インターナショナルカレッジのマリア像も、外国人墓地内に安置されています(現在は、風化しつつある坂名”セント・ジョセフの坂“に、その名残がわずかに残されています)。

 

開園情報

施設名 開園日・開園時間 入場料
横浜外国人墓地 墓地内見学:2~7月、9月~12月の土日祝祭日(雨天時以外)、12:00~16:00
墓地手前まで:毎週月曜日以外の10:00~17:00
墓地内見学の場合:200円~300円(墓地内地図付き。施設の維持管理費用として)

 

アクセス

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