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【鎌倉三十三観音】北鎌倉のアジサイ寺、明月院(JR横須賀線北鎌倉駅下車)

鎌倉/湘南

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【鎌倉三十三観音】北鎌倉のアジサイ寺、明月院(JR横須賀線北鎌倉駅下車)

北鎌倉のアジサイ寺、明月院

由緒、”アジサイ寺”として

about 明月院

明月院(鎌倉観光公式ガイド明月院“)のお寺としてのルーツは、鎌倉幕府の第五代執権・北条時頼が1263年(弘長3年)ごろ建てた最明寺にありますが、最明寺自体のルーツはこのさらに約100年ほど前、1160年(永暦元年)の”名月庵”創建にあるようです(参考:開山と創建(開基))。

北条時頼が建立し、時頼の没後ほどなく廃れた最明寺は、建立から数年の後(1268年ごろ)、時頼の実子である第八代執権・北条時宗によって禅興寺として再興されますが、時宗が再興した元・最明寺=禅興寺は残念なことにやがて再び衰退してしまいます。

その後、1379年(鎌倉幕府第八代執権・北条時宗の時代の約100年後)には”禅興寺・中興の祖”にあたる室町幕府の第15代関東管領・上杉憲方が、室町幕府の第二代鎌倉公方・足利氏満の命を受けて禅興寺を三たび再興させました。

このとき禅興寺の塔頭(”たっちゅう”は、お寺に寄り添って建てられた塔のことです)として造られたのが、上杉憲方の法名を付した明月院です。

公式パンフレットには、禅興寺再興に伴って『名月庵は明月院に改められ』とありますが、”再建”は名月庵創建から約200年後、今現在から約640年前のことです。

禅興寺自体はその後も衰退と再興とを繰り返し、最終的に明治元年に廃寺となるのですが、禅興寺が廃寺となったあとにも明月院は残され、今に至ります(明月院と”山ノ内”について、参考:【街歩きと鎌倉史】北条得宗家と山ノ内、山内上杉氏(北鎌倉のお寺))。

 

アジサイ寺

現在の明月院は、鎌倉では長谷寺と並ぶ”アジサイ寺”として有名なお寺です。

鎌倉時代以来の由緒を持つ明月院が”アジサイ寺”となったのは、昭和40年代のことでした。お寺の持つ長い歴史の中ではつい最近の出来事ですが、昭和も半ばを過ぎた時期、戦後復興の一環として”アジサイ寺”となりました。その結果、今では全国に数多ある”アジサイ寺”のルーツとなった明月院ですが、現在の境内ではアジサイ以外の花も咲くことから、”花の寺”とも称されています。

アジサイの季節の明月院唯一の難点としては、満員御礼当たり前という大盛況ぶりが挙げられます。お昼近くなると入場待ちの列が長くなって入場規制がかかってしまうので、ねらい目は朝一、開門早々の時間帯です。

 

境内の様子

北条時頼の墓

北条時頼との縁が深いお寺だということで、明月院内正面入り口傍には、北条時頼のお墓が置かれています。

 

明月院やぐら

年代的に”名月庵”創建と同時に作られたとされる明月院やぐらも、明月院の名物です。

 

宗猷堂(開山堂)

創建年的には北条時宗の時代を前後することになりますが、最明寺や禅興寺時代以来の縁がある宗猷堂(開山堂)も、現在の明月院内、やぐら傍に置かれています。禅興寺の最盛期(北条時宗による再興後)に、元となる建造物が確認されているようです。

 

本堂と枯山水

鎌倉時代の末期から室町時代にかけての明月院は、明月院の母体となった禅興寺が再興と衰退を繰り返していた時代にあたりますが、現在の明月院内でその時代を思わせる施設は、明月院・本堂と、枯山水の庭園です。

枯山水は、水を使わずに砂と石で山水を表現した庭で、室町時代、主に禅宗のお寺の庭園で発展したといわれています。

 

 

開園情報/アクセス

開園情報

施設名 開園日・開園時間 拝観料
明月院 6月:8:30~17:00

6月以外:9:00~16:00

一般:500円

小中学生:300円

 

アクセス

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