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【旧街道と宿場町巡り】一里塚(旧街道上、約4キロ毎の目安)

旧街道/宿場町/城下町

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【旧街道と宿場町巡り】一里塚(旧街道上、約4キロ毎の目安)

“一里”の距離

about 一里塚

一里塚とは、五街道をはじめとする江戸時代の街道上に、”一里”毎に設けられていた”塚”のことで、一里は約4キロに該当します。

慶長9年(1604年)、織田・豊臣政権下で一里=36町とされたことの後を受ける形で、徳川家康の命を受けた二代将軍・徳川秀忠が、江戸・日本橋を元標(参考:東京中央区観光ガイド日本国道路元標“)とする一里塚を築造しました。

“一里=4キロ”は人間が徒歩で歩いた際に平均で1時間かかる距離だと言われていますが、神奈川県内の旧東海道上には、かつて20の一里塚があったとされています(参考:国土交通省関東地方整備局 横浜事務事務所 “東海道への誘い一里塚“)。

日本橋・箱根間の距離

一例として箱根湯本の一里塚から畑宿の一里塚まで徒歩で進むとどのくらいかかるのか、Googleマップで試してみたところ、1時間7分と出ました(畑宿から葭原久保だと、1時間16分でした)。

次に箱根駅伝の記録を参考にして、江戸の日本橋と箱根の芦ノ湖間を、”里”で捉えてみます(東海道のスタート地点である日本橋は東京駅の八重洲方面=東側に、箱根駅伝のスタート地点である大手町は同じく東京駅の丸の内方面=西側に位置しているので、便宜上およそ同位置にあるとここでは捉えることにします)。

日本橋から箱根湯本の一里塚までは22里、箱根湯本から葭原久保の一里塚(=芦ノ湖畔)までの距離が2里で、計24里(=歩いて24時間かかる距離)となりますが、近年の箱根駅伝の優勝チームの記録が片道およそ5時間30分程度なので(参考:箱根駅伝公式サイト箱根駅伝歴代優勝校“)、走る速度=歩く速度×4と換算すれば、丁度24時間となる計算です。

ほぼピッタリですね。

この点、かつて(江戸時代)は「歩いて一時間かかる距離」が”里”の基準だったことから、地域によって”里”の物理的な長さが異なったりもしたようです(参考:日立ハイテクチャンネル里(単位の部屋内)“)が、車や飛行機などがなく、移動手段がほぼ人力だった時代の距離の目安としては、かつての”里”は時代相応に実用的な規格だったのかもしれません。

歩行時間と物理的な距離、一里塚跡

江戸時代に作られた一里塚には、小高く盛られた土に目印として木が植えられていました。

植えられる木は、元々は榎(えのき)や松がほとんどだったものの、江戸時代中期以降はまゆみ、桜、槻(つき)、樅(もみ)、栴檀(せんだん)と、バラエティに富むようになっていったようです(参考:国交省関東地方整備局 横浜国道事務所 “東海道への誘い一里塚“)。

残念ながら、今となってはかつての姿が遺された一里塚の方がレアとなってしまっているようですが(神奈川県内には、畑宿の他、三か所が残されています)、”跡”は方々に残されています。

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