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【箱根旧街道線沿い史跡巡り その8】 葭原久保の一里塚

旧街道と宿場町巡り

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【箱根旧街道線沿い史跡巡り その8】 葭原久保の一里塚

葭原久保(よしわらくぼ)の一里塚

ロケーション

甘酒茶屋を過ぎ、箱根旧街道(箱根登山バス・箱根旧街道線“旧街道石畳”傍)やお玉が池付近を通りすぎると、現在の県道732号線の先に伸びた旧東海道は、やがて芦ノ湖畔の元箱根バスターミナル/元箱根港付近(箱根神社第一鳥居付近)で、芦ノ湖畔に通された国道一号線に合流します。

「箱根の険しい山道を超えて、漸くたどり着いた芦ノ湖畔」の風景を楽しめるという、中々感動的な体験が出来る一帯でもあるのですが、合流地点から少しだけ箱根町港方面に向かって歩いたところに、葭原久保(よしわらくぼ)の一里塚跡が残されています。

 

葭原久保の一里塚

元箱根港から箱根町港バスターミナル方面に向かって少し歩くと、ほどなく国道一号線沿いは杉並木の道となります。

杉並木といえば江戸時代以来の箱根名物でもありますが、その雰囲気が強く出た一帯の中、

箱根町港方面に向かって左側道沿いに、葭原久保の一里塚跡石碑が見えてきます。

葭原久保の一里塚は、日本橋から数えて24番目(=日本橋から24里)、箱根エリアでは畑宿の次の一里塚にあたります。

この一里塚を超えてさらに旧東海道を進む場合、「入り鉄砲・出女」に対して厳格な検問が課されていたことで有名な箱根の関所が同じく芦ノ湖畔にありますが、関所を超えると蘆川の石仏群へ、さらには難所である箱根峠方面へと進みます。

 

葭原久保の次の一里塚は?

旧東海道上の一里塚を日本橋からカウントすると、24番目の一里塚にあたる葭原久保の一里塚の次、25番目の一里塚にあたるのは接待茶屋の一里塚なのですが、なぜか”25番目の一里塚”は欠番とされ、接待茶屋の一里塚は日本橋から26番目の一里塚としてカウントされています。

微妙にややこしいですが、「一里塚とは、街道上に一里ごとに置かれた塚のことだ」という”一里塚”の定義から(ということなのでしょう)、旧東海道上には25番目の一里塚が存在せず、25番目にあたるはずの接待茶屋の一里塚が”26番目”だと判断されているんですね。

ということは即ち、葭原久保の次の一里塚=接待茶屋の一里塚は、かつて「江戸の日本橋から26里離れている」と判断されていたことを意味しています。

この点、一里の距離自体や一里塚・宿場町間の距離(特に、”里”の1/36にあたる”町”、”町”の1/60にあたる”間”の数値)は、江戸時代初期と幕末・明治初期では若干変わっている部分があるので(参考:土木史研究講演集近世東海道の道路延長と一里塚の尺度について“)、元々は葭原久保・接待茶屋間に25番目の一里塚があった(ただし後に廃止された)、あるいは元々は25番目だと判断されていた接待茶屋の一里塚が(25番目の一里塚までの累積誤差を清算する形で)26番目に繰り下げられた等々、幾つかの理由が考えられなくもありません。

その昔の“里”の計測方法は「人間が歩いて一時間かかる距離を一里とする」というものだったことからも、「街道整備後、どこかのタイミングで後からなんらかの訂正が入った結果、”25″が欠番となった」ということではあるのでしょう。

ただし、実際Googleマップで徒歩換算してみると、葭原久保-接待茶屋間はほぼ1時間で歩ける距離になっています(さらには接待茶屋の次の一里塚である笹原の一里塚との距離も、ほぼ一時間で歩ける距離です)。

謎といえば謎なナンバリングではありますが、”江戸から25番目の一里塚”は現存せず欠番となっていて、24番目の葭原久保の次の一里塚は、26番目の接待茶屋の一里塚です。

接待茶屋の一里塚は、山中一里塚、山中新田一里塚とも呼ばれていて、塚の一部は現存するようです(参考:函南町公式サイト史跡(国指定・箱根旧街道と山中城)“)。

 

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