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【秋の箱根泊2021/箱根旧街道線沿い史跡巡り その8】 葭原久保の一里塚

旧街道/宿場町/城下町

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【秋の箱根泊2021/箱根旧街道線沿い史跡巡り その8】 葭原久保の一里塚

葭原久保(よしわらくぼ)の一里塚

ロケーション -県道732号、”箱根旧街道”、国道一号線-

湯本茶屋の一里塚を経て県道732号線に沿うように伸びて来た旧・東海道は、甘酒茶屋を過ぎ、箱根旧街道お玉が池付近を過ぎると、元箱根バスターミナル/元箱根港付近(箱根神社第一鳥居傍)で、芦ノ湖畔に通された国道一号線に合流します。

この場合の”一号線”は箱根新道ではなく、箱根駅伝の走路となっている方の国道一号線ですが、芦ノ湖畔から先の旧・東海道は、今度は国道一号線に沿うように伸びて静岡方面へと向かいます。

まずは旧東海道関連の史跡を多く残した県道732号線畑宿入口交差点で合流し、さらに前記した箱根神社の第一鳥居付近では”箱根旧街道“で732号線から分離した”旧東海道”と合流しますが、芦ノ湖畔に位置する一号線・732号線の合流地点から少しだけ箱根町港方面に向かって歩いたところに、葭原久保(よしわらくぼ)の一里塚跡が残されています。

葭原久保の一里塚

元箱根港から箱根町港バスターミナル方面に向かって少し歩くと(芦ノ湖畔を南下する形ですね)、ほどなく国道一号線沿いは杉並木の道となります。

杉並木といえば江戸時代以来の箱根名物でもありますが、その雰囲気が強く出た一帯の中、箱根町港方面に向かって左側道沿いに、葭原久保の一里塚跡石碑が見えてきます。

葭原久保の一里塚は、日本橋から数えて24番目(=日本橋から24里)、箱根エリアでは畑宿の次の一里塚にあたります。

この一里塚を超えてさらに旧東海道を進む場合、「入り鉄砲・出女」に厳格な検問が課されたことで有名な箱根の関所が同じく芦ノ湖畔にありますが、関所を超えると蘆川の石仏群へ、さらには難所である箱根峠方面へと進みます。

葭原久保の次の一里塚は?

“欠番”となっている一里塚

旧東海道上の一里塚を日本橋からカウントすると、24番目の一里塚にあたる葭原久保の一里塚の次、25番目の一里塚にあたるのは接待茶屋の一里塚です。

にもかかわらず、なぜか”25番目の一里塚”は欠番とされ、接待茶屋の一里塚は日本橋から26番目の一里塚としてカウントされています。

恐らくは「一里塚とは、街道上に一里ごとに置かれた塚のことだ」という”一里塚”の定義から(ということなのでしょう)、旧東海道上には25番目の一里塚が存在せず、25番目にあたるはずの接待茶屋の一里塚が”26番目”だと判断されているんですね。

かつての距離の計測方法と”欠番”の故

この点、一里の距離自体や一里塚・宿場町間の距離は、江戸時代初期と幕末・明治初期では若干変わっている部分があるので、元々は葭原久保・接待茶屋間に25番目の一里塚があった(ただし後に廃止された)、あるいは元々は25番目だと判断されていた接待茶屋の一里塚が(25番目の一里塚までの累積誤差を清算する形で)26番目に繰り下げられた等々、幾つかの理由が考えられなくもありません。

距離の変更ということでは、特に”里”の1/36にあたる”町”、”町”の1/60にあたる”間”の数値が挙げられるようですが(参考:土木史研究講演集近世東海道の道路延長と一里塚の尺度について“)、その昔の”里”の計測方法は「人間が歩いて一時間かかる距離を一里とする」と定義されていたことからも、「街道整備後、どこかのタイミングでなんらかの訂正が入った結果、”25″が欠番となった」ということなのかもしれません(参考:“一里”の距離)。

とはいえ、実際Googleマップで徒歩時間を計測してみると、葭原久保-接待茶屋間はほぼ1時間で歩ける距離になっている上、接待茶屋の次の一里塚である笹原の一里塚との距離もほぼ一時間で歩ける距離となっています。

一見したところどこかミステリアスなナンバリングに見えないこともありませんが、単純に「江戸・日本橋から25里のところに塚を作れなかった」ということなのかもしれません。

余談として、葭原久保の次、接待茶屋の一里塚は、山中一里塚、山中新田一里塚とも呼ばれていて、塚の一部は現存するようです(参考:函南町公式サイト史跡(国指定・箱根旧街道と山中城)“)。

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