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【開港都市・長崎の風景】出島ワーフと長崎港(路面電車出島駅傍)

長崎

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【開港都市・長崎の風景】出島ワーフと長崎港(路面電車出島駅傍)

出島ワーフ

臨港鉄道跡(旧・長崎港駅)

昭和5年(1930年)3月、大正年間(12年=1923年2月)に竣工した出島岸壁へ着岸する日華連絡船・長崎丸と上海丸の就航に合わせて、長崎駅から出島の岸壁へと至る臨港線(臨港鉄道)が開通しました。

現在、かつて長崎駅からの臨港線が通されていた、長崎港駅付近には線路跡と共に車輪が残され、

そのすぐ傍には一風変わった説明書きが用意されています(経年劣化によってやや読みづらくなっていたのが残念でした)。

余談として、19世紀に長崎と同時に開港した5港のうちの一港・横浜港にも、一時”海外航路への鉄道駅”として機能していた”横浜港駅”がありました。現在も、当時の線路跡共々横浜港駅のプラットフォーム跡が残されています(参考:旧横浜港駅プラットフォーム)。

長崎港駅跡には中島川上に大波止橋が通され、JR長崎駅方面との間が結ばれています。

出島ワーフ

新・観光丸

路面電車の出島駅から臨港鉄道跡や大波止橋を経てさらにまっすぐ進むと、やがて長崎湾沿いに到達します。

まず最初に割とびっくりしたのが、長崎湾に浮かぶ”リアル黒船”、観光船の新・観光丸(公式サイト)です。

新・観光丸は、かつてオランダ国王ウィレム3世から13代将軍徳川家定に贈呈された蒸気船・スンビン号(日本名・観光丸)のレプリカ船で、ぱっと見のインパクトも中々のものですが、現役の観光船として長崎湾内を約50分かけて遊覧してくれるようです。

かつて幕末の日本の狂歌で”たった四杯で夜も眠れず”と謳われたのが”上喜撰”ならぬ蒸気船です。新・観光丸一隻の威容を前にしてその狂歌を思うと、”たった”という表現から色々な含みを感じ取れるような気分になったりもしますが、およそ2世紀に渡って続いた平和な時代の後、突如として新・観光丸のような船が四隻も(将軍のおひざ元である江戸湾上に)現れたとしたら、それは十分”泰平の眠りを覚ます”に足るものではないでしょうか笑、などということをリアルに思わされます。

参考:東京都立図書館泰平の眠りをさます上喜撰(蒸気船)

長崎出島ハーバー(ながさき・でじま海の駅)

湾内には、ボートやヨットが停まっているのもわかりますが、

岸壁に沿って歩いていくと、長崎出島ハーバー(公式サイト。ボートやヨットの係留場です)の桟橋が姿を現します。出島ハーバーは、契約者のための係留施設であると同時に、非契約者=ビジターに対しても開かれている”海の駅”(海の駅公式サイト海の駅とは?“”ながさき・でじま海の駅“)として機能しているようです。

出島ワーフ

長崎湾、および出島ハーバーに向かい合うように作られた複合商業施設が、

長崎出島ワーフ(公式サイト)です。レストランや喫茶店の他、コワーキングスペースなども用意されているという、長崎湾を目の前に望むことが出来るオシャレな施設です。

アクセス

臨港鉄道跡

新・観光丸

長崎出島ワーフ

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