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【開港都市・新潟の風景/2023】公衆電話発祥の地(JR新潟駅傍)
新潟県下の公衆電話のはじまり
弁天公園と旧新潟駅
現在のJR新潟駅からも徒歩圏内に位置するところに弁天公園という小さな公園があるのですが、1904年(明治37年)に初代の新潟駅が作られたのがこの付近でした。
以降、万代シティ(公式サイト)がオープンし、万代口バスターミナルが新設された1973年(昭和48年)の15年ほど前、1958年(昭和33年)に現在地に移転するまで新潟駅が置かれた地となったことから、公園の北東から始まっている二本の通りは、いずれも”旧新潟駅前通”と命名されています。
この点、特に現地に(旧新潟駅跡地関連の)碑石などが置かれているというようなことはありませんでしたが、マップ上には”旧新潟駅跡地“がポイントされています。
参考:万代口バスターミナル、新潟文化物語 “旧新潟駅前通“、新潟市公式サイト “エリアの歴史“他
公衆電話発祥の地
恐らくは”この付近に旧新潟駅があった”ことも大きな理由となったのでしょうが、弁天公園の東側の道路沿い(旧新潟駅前通とは反対側の通り沿い)には、新潟県下で初めて公衆電話が置かれたことを記念した石碑”公衆電話発祥ノ地”碑が設置されています。
公衆電話の設置は1907年(明治40年)、初代新潟駅が竣工した3年後のことでした。
ちなみに日本国内の”電話”事情を追ってみると、1869年(明治2年)に東京・横浜間で電信線架設工事が始まった後、同区間に電話が初めて開設されたのが1890年(明治23年)のことです。
当初は東京・横浜の電話局内の電話所にのみ設置されるという形で”国内初の電話”が実用化されるのですが、その後1900年(明治33年)、上野駅・新橋駅の構内、および京橋(屋外)に、日本で初めての公衆電話が設置されました。
個別に持つにはまだまだ通話料が高額だったことから、当初電話の所有は企業が中心だったようですが、”個人所有”の代替措置として、その需要に応える形で公衆電話の普及が始まります(参考:当時の電話事情)。
余談として、当時は公衆電話が”自働電話”(”オートマティックテレホン”が直訳されたようです)と呼ばれていたようですが、この”日本初の公衆電話”(京橋に設置されたもの)のレプリカは、現在横浜山手の元町公園前に設置されています(ほか、長崎のグラバー園内にも同型のものが置かれているようです。参考:自働電話・山手234番館前付近へ)。
参考:NTT東日本公式サイト “公衆電話機のうつりかわり“、KDDI公式サイト “日本で電話が生まれて150年 黒電話や公衆電話など『電話の歴史』を振り返る“他
石碑の隣には今現在も、現役の電話ボックスが置かれています。
今をさかのぼること100年以上前、明治半ばの最新メディアだった公衆電話も、今では当時のものとは比較にならないほどの高性能を持ちながら、より最新鋭のメディアであるスマホの台頭に押される形で影薄くなっているというあたり、技術の進歩の偉大さを改めて思わされますね。